エリヤの訓練


インランドエンパイヤ￾内陸帝国￿日本人教会
2012年8月12日
オリンピックに思うこと

 木曜日になでしこJapanとアメリカチームの決勝戦がありました。国籍はアメリカ人ですが、日本を応援していました。この試合で一番感動したのは、日本が負けたことです。今まで見たサッカーの試合で初めて、イエローカードが一枚しかでなかったのです。この2つの国は、スポーツマンシップにのっとりほんとうにフェアープレイを90分間しました。だから負けても感動できました。凄いチームを日本は持っています。負けていると普通はフラストレーションからフィジカルになりがちなサッカーの試合ですが、なでしこJapanはその名の通り、大和なでしこを代表するチームでした。ですからすがすがしく負けてくれました。負け試合で感動したのは初めてです。
 オリンピックもサッカーの試合しか見ない私ですが、どの国の試合を見ても感動します。それは一つのことに打ち込んでいる姿が美しいからでしょう。また自分にはできない身体能力をもっているので、それをうらやましくも思い、また苦しい練習の結果見られるゴールがすばらしいから感動します。特に個人的にはミドルシュートが好きです。ピッチからゴールに突き刺さるようにはいるゴールを見るとスッキリします。最近はサッカーがマイブームとなっています。

 聖書でも普段の訓練が本番で生かされます。

第一列王記18章

 18章で旧約聖書に出てくるエリヤは偶像礼拝するバアル礼拝の予言者450人と戦い勝利得ました。バアル礼拝をする祭壇には火は降りてきませんでした。しかしエリヤの動物の生け贄は多くの水をかけられながら完全に燃え尽きる天からの火で焼き尽くされてしまいました。またバアルの予言者は全員殺されました。450対1の試練に打ち勝った瞬間です。

第一列王記18章23節彼らは、私たちのために、二頭の雄牛を用意せよ。彼らは自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂き、たきぎの上に載せよ。彼らは火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにして、たきぎの上に載せ、火をつけないでおく。18:24 あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「あなたがたで一頭の雄牛を選び、あなたがたのほうからまず始めよ。人数が多いのだから。あなたがたの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」18:26 そこで、彼らは与えられた雄牛を取ってそれを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んで言った。「バアルよ。私たちに答えてください。」しかし、何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちの造った祭壇のあたりを、踊り回った。18:27 真昼になると、エリヤは彼らをあざけって言った。「もっと大きな声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席をはずしているか、旅に出ているのだろう。もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」18:28 彼らはますます大きな声で呼ばわり、彼らのならわしに従って、剣や槍で血を流すまで自分たちの身を傷つけた。18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物をささげる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注意を払う者もなかった。

偽予言者と神の預言者のちがい
1.偽予言者は政治的な働きに関与し恩恵を受けるべく手段を取る
2.一般的に金持ちが多い
3.間違った啓示をする 人々の聞きたいことだけを予言する

神の預言者は
1 霊的な働きをし、神に捧げる奉仕をする
2.個人の資産が少ない
3.真実だけを語り神のメッセージを無条件に語る

偶像へ語りかけても返事はできない。木や石でできた偶像は語ることができない。答えを下さるのは、語りかける知恵を与えるのも、

本物の神に仕える僕の祈りを神は聞いてくださる。

 そして最後に、「この民が、あなたこそ神であることを知るようにしてください。」と祈っています。
18:38 すると、主の火が降って来て、全焼のいけにえと、たきぎと、石と、ちりとを焼き尽くし、みぞの水もなめ尽くしてしまった。18:39 民はみな、これを見て、ひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言った。18:40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕えよ。ひとりものがすな。」彼らがバアルの預言者たちを捕えると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。

 神に仕えるものの祈りはチャレンジの中で用いられ、その僕が成長するように神が訓練します。エリヤもイスラエルの民の預言者となる訓練をうけ、神を信じる信仰と神に信頼することを学ぶことで、次のタスクの準備をしています。エリヤが祈ることで雨が降らなくなり、また同じように降るように祈れば雨が降りました。私たちの求めるものが神の意志に沿っていれば、祈りは答えられます。エリヤの祈りが答えられたのは、エリヤが特別な人だったからでしょうか?違います。彼は訓練を受けたので、大きな神の働きをしました。

アプリケーション
 主の言葉が与えられているエリヤは祈り続ける方でした。ちょうど本番前に何度も練習するオリンピアンのように、同じ動きを反復練習します。それが完全な形となり、本番でのゴールを生み出す原動力となります。霊的な運動が祈りです。神との会話の中で、神の意志がどう動いているのかを知ることができます。祈りは信じなければできません。祈る姿勢は神を喜ばせ、私たちをより神に近いものと育てます。
 キリスト教は神との関係を持つことです。この関係は対話によってより近い関係を作ります。夫婦関係と同じです。会話のない夫婦は破滅しますが、コミニケーションを常に持っている夫婦は、お互いのニーズを知るので成長します。本番に強いとは、試練の時にも神に信頼を置き、神の栄光を体験することができるというひな形です。失敗してもまたやり直す。人間は失敗するのが当たり前です。間違いを犯すことを認めなければ人間として成長しません。オリンピックで表彰台に上がる人は、それまで犯してきた間違いを修正し克服して、選手として成長したので、結果を出すことができたのです。間違いを認めることで成長するのは、どの分野でも同じです。自分は正しいと主張する方に成長はありません。アインシュタインは「同じことを繰り返して、違う結果を求めるのは狂っているからだ」といいました。過ちを直すことで違う結果が出ます。

コメント

  1. 第一列王記17章の出来事

     本日は18章を見て来ましたが、エリヤの訓練はその前から続いていました。エリヤは一人のやもめのところに遣わされました。そのやもめの一人息子の病気が重くなりついに亡くなります。そこでエリヤはこの息子を家の屋上につれて行き、神に向かって3度祈り生き返らせます。
     神の預言者であるから、試練からexemptされるのではありません。選ばれたものが受ける訓練があります。それが今クリスチャンとして受ける訓練です。その訓練がなければ、神が計画するより大きな使命を遂行することができません。試練は選ばれているので来ることもあります。
     しかし聖書では「耐えられないような試練をあなたに与えない」という約束があります。私たちの通るまたは通っている試練によって、神に用いられる器となり、神を喜ばす器となるように、試練を受けて信仰が強くなります。神に信頼するものは、けっして失望することはないという御言葉を思い出してください。
     エリヤから学ぶことはたくさんあります。その一つが祈り続ける姿をエリヤに見ます。神によって送られたところで受ける試練により、彼の祈り続ける姿を私たちは見ます。神の送った場所でありながらも、祈る姿がエリヤにありました。皆さんはこの教会に送られて来ています。それ故に祈り続けることを求められています。

    Think about it
    Pastor Kusunoki

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