3人の異端教師たち

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Joel Osteen , Joseph Prince and  Joyce Meyer

この3人に共通する言葉とは何でしょうか?Heresy(異端)

 三人ともアメリカでは有名なTVエバンジェリストで、ジョールオースティーンはアメリカで一番大きな教会の牧師です。テレビでも人気でCNNでも見かける顔です。ただし彼の教えはキリスト教とはかけ離れたものです。今一番旬な偽教師でしょう。牧師でテレビで人気があるから信頼がおける? のではないという見本のような牧師です。

 では何を根拠に楠は彼らを偽教師と呼んでいるのでしょうか?問題は資質にあります。まず彼は牧師の登竜門、正式な神学校で神学を学んでいません。つまり基礎知識がないのに、自分のアイディアで牧会している方です。しかし彼の父親は牧師でしたから、教会学校で聖書の話を聞いているので、小さいころからキリスト教の教えには精通していたでしょう。もしそれだけで牧師になれるのであれば医者の家庭に生まれて、親が医者だからと言ってすぐに医者になれるでしょうか。医者になるのには医学部を卒後し、インターンを経て正式な免許を持ち医者となるのが普通です。同じように牧師になるのに、父親が牧師だから神学を学ばなくても牧師にはなれるものではありません。しかし父親の教会を世襲で受け継ぎ、トレーニングなしに牧師になったのがジョールオースティーンです。これが異端の土台となってしまいました。神学的な基礎がないのに説教者として有名になってしまったのです。


 これまで彼独自の解釈で聖書を誤って解読(Isegesus 文脈を無視して自分の主張に合わせて聖書を解釈する方法)したため、出てきたのがオースティーン神学です。これが最近彼の本の中でも使われているI Am 論となります。このI Am論とは、聖書に出てくるキリストのタイトル(呼び名)から来ています。今アメリカで一番栄えている異端のキリスト教が、「人間を小さな神god」にしてしまう神学論です。TBNというキリスト教TVチャンネルでプロパガンダされている教えで、TVエバンジェリスト故ケネスHaganが広めた異端教義 (Name it and Claim it or word of faith movement)が、異端教師三人によって引き継がれています。この異端の発端「小さな神論」人間は小さい神であるのだから、神がこの世を神の発する言葉で造ったように(創世記 1章1節)、人間も小さな神ならば、口から発する言葉が物体化する。という神学を教えています。この考え方は聖書にはない概念で、小さな神論自体が異端の教義です。人間は罪びとであくまでも人間です。人間は神になれるかなれないかの根本的な神学で間違っています。聖書では人間は人間以外にはなりません。人間が小さな神になるという時点で異端の教義です。キリスト教の教えではすでにありません。

ジョールオースティーンは、この1980年代にはやったname it claim it 言葉にしたものが神の言葉のように物質化するという神学を違った形で21世紀のアメリカで解き始めたのです。神になるという表現をI Amと言い換えただけです。 I Am とは神を指す形容詞 日本語にあえて訳すと 「私はある」 I am that I amI Amがクリスチャンであれば、その口から出るものはすべて有物化すると教えたのがオースティン牧師です。つまり自分は金持ちになるといえば、金持ちになり、病気は癒されると口で宣言すれば、病気は癒されると説いたのです。小さな神の発することですから、現実となるというのです。彼の場合、新しい本の中で、口からすべてポジティブなことを発しなければいけないと説いています。つまり否定的なことを口にすると、これが現実化して自分に帰ってくると説いたのです。この神学で現実とはかけ離れた自己認証を始めることになります。この概念はクリスチャンサイエンス(1970年代にはやった異端)の教えと同じで、1910年 自ら否定していた病ガンになった創設者のMary Baker Eddy氏は、自分には病気はないと言いながらガンで死んでゆきました。百年たっても同じ異端ができているのは、聖書をしっかりと学んでいないから繰り返される過ちです。昨今福音派の教会でも、神学軽視が増えてきています。私は神学より福音を好むという風潮、神学軽視が異端を生み出す要因です。ほとんどの異端は正しく神学を神学校で学んでいません。


日本でも自称牧師先生が多いので困りますが、韓国では800万人のクリスチャンのうち約200万人は異端のクリスチャンという研究があります。つまり韓国のクリスチャン四人に一人は、正当なキリスト教の教えを受けていないで自称クリスチャンとなっています。その元が神学校に行っていない牧師(自称牧師)の教会が韓国で多い理由です。世界一大きな教会が韓国にありますが、基本的にチョーヨンギ師も異端と判断され、所属していたアッセンブリオブゴット教団を追放されました。アメリカで一番大きな教会も、韓国で一番大きな教会も異端です。また日本でも10000人を超えるメガ教会と言われていたヨハン教会は、異端で主任牧師が婦女暴行罪で刑事事件を起こしています。大きい教会が聖書的に正しい教会ではありません。むしろ人に受け入れやすい誤った福音を語っているメガ教会が多くできています。教会員数とは関係ない牧師の資質を吟味する必要があるでしょう。アメリカで一番大きな教会が異端であるのは残念な事実です。大きな教会になる傾向が異端の教えに影響されているのは残念な傾向です。



 

おなじように、Joseph Prince師も、異端の教義をテレビで伝えるTV牧師です。Joseph PrinceはアジアのJoel Osteenと呼ばれ、東南アジアでは一番大きなキリスト教会の牧師です。残念ながら類は友を呼ぶで、彼も肯定的に言葉にすることで、自分にめぐみが来るという神学です。特にめぐみという言葉には力があり、父なる神が愛であれば、母なる神としてめぐみ(grace)があると教えます。これはめぐみのanthropomorphism(人格として現れる)化です。めぐみの人格化という神学を立ち上げています。大変危険な異端神学で多くの人に偽りの福音をテレビを通して語っています。また罪の告白は信仰を持つクリスチャンには必要がないと教えています。すでに罪を許されているクリスチャンに、罪の告白は必要ないという教義です。聖書にない危ない神学です


 ではどうしてプリンス牧師が異端的な教えを、世界中に広めるようになったのか?彼もオースティン牧師と同じで、正式に神学校で教育を受けていません。牧師になる前はIT企業のコンサルタントでした。神学を知らないものが、聖書を自分の主観でまたは自分の知恵で語るとどうなるか?この二人は同じように神学の素人が福音を伝えるものになったために大きな罪を犯しています。二人とも優れているのはコミニケーションスキルでした。残念ながらこの二人でキリスト教会が異なる福音に侵略されています。テレビを見る人でこの二人がすごい、パワーフルな説教をする牧師であるこことは理解できても、どうして彼らの福音が自分の耳に心地よいのかを理解できません。めぐみだけを強調して教えるプリンス牧師は、悔い改める必要を説かない つまり今の自分の罪と向かい合わなくてもいいので、めぐみによる救いだけを説く異端です。


もちろん私たちは神の恵みだけで救われるのですが、そのSOLA GRACIA(めぐみのみ)を歪曲した偽教師です。人間は罪があり完全に神には自ら近づけません。罪を認め、悔い改め、信仰をもって神の前に出る。これはクリスチャンとして必要なことで、キリストによるめぐみによる救いは、十字架の贖いがなければ完成されません。どうしてキリストが十字架にかからなければならなかったかを?私たちは本当の福音を知らなければ本当の恵みを受けることにはなりません。罪と十字架を避けてめぐみには到達しません。そこが恵みだけを説くプリンス牧師の残念な間違いです。彼も異端の仲間に入っています。

まためぐみ自体に人格はありません。恵みはあくまでも神のattribute性質で人格personではありません。大切なのはめぐみによってantinomianism (反掟主義)をプリンス牧師が大衆に向けて教えていることが危険です。旧約聖書の十戒の教えだけではなく、モラルの掟まで否定しているので危険です。キリストの恵みにより罪がすべて許されているのなら、何をやっても罪には問われない、モラル的な不従順でも許されている≪過去の罪として≫という教えになります。この教えでは社会として秩序がなくなり、モラル崩壊が始まりソドムとゴモラに戻ってしまうでしょう。キリストの恵みによってすべての罪は許されていますが、もし故意に罪を犯すのであれば、つまり自分の罪はすでに許されているのだから、何をしても許される。だからなにをしても関係ないとなれば、ローマ署6章に反する教えとなってしまいます。神と人との関係は、恵みを体験すればするほどもっと神との関係の中で、神を求めめぐみを体験するようになりたいと思います。許されているのだから何をやってもいいとはなりません。許される神は同時に、罪のために十字架にかかっているのです。神を悲しませる罪を故意に犯すことでめぐみを現すことにはなりません。このようにめぐみの根本的な理解をプリンス牧師は誤ってしまいました。めぐみは神の賜物で、私たちに無償で与えられます。しかし代価は十字架にかかったキリストのいのちです。めぐみは無料ですが、キリストイエスのいのちを引き換えで無償になっています。これをはき違えると異端プリンス牧師となってしまいます。

 最後はJOYCE MEYER女史です。まず第一に女性を組織の頭とし牧師とさせることが間違いです。なぜならおおくのキリスト教の異端は、女性の指導者から出てきています。神がかると怖いのは女性も男性も同じですが、彼女もキリストのメッセンジャーとして選ばれたという勘違いをしています。メイヤー女史の場合は自らが選ばれたキリストの預言者という立場で語っています。女性を按手するところは聖書にはありません。女性の預言者も聖書的にはありえないことです。それを許すと反聖書的な教義が出てきます。彼女はキリストの罪の贖いは十字架で完成しなかったといいます。キリストは罪の身代わりではなく、罪そのものになり神の子の権威を失った。また地獄に3日間行って人類の罪を贖ったと教えています。キリストが十字架にかかった後に地獄に行くという話は使徒信条に書かれてありますが、聖書にはありません。事実ではなくフィクションです。この教え自体は彼女のオリジナルではなく、FAITH TEACHERS ベニーヒン、フレデリックプライス、ケネスコープランド、ケネスヘーガンらが作り出した。繁栄主義福音を謳うカリスマ派の人々です。彼女の場合はこの異端の神学をそのまままねただけです。(オースティーン牧師もこの神学を説く)オリジナリティーのないコピーキャット偽預言者です。


十字架での贖いを否定するのはすべて異端です。十字架で終わっているのが罪の贖いです.そしてキリストの神性も変わることはありませんでした。十字架にかかったのは100%神のキリストで、罪の贖いをしたのは100%人間のキリストでした。キリストは100%神で100%人間の三位一体の一人です。それらを否定するのが偽預言者です。メイヤー女史の言うように、十字架にかかったキリストが神でなくなればその時点で贖いの生贄となる価値がありません。 メシアの到来を書いた旧約聖書全体が間違っていたとなります。そしてキリストは無駄に死んだ罪ある詐欺師になってしまいます。メイヤー女史の神学で多くの方が福音から離れていくだけでなく、彼女の献金の使い方を見れば、彼女がだれのために説教をしているのかが見えてきます。金の管理にルーズな彼女は、エンジェルが彼女に説教するように語ったといわれています。しかし女性に牧師となって福音を語れというエンジェルはいません。エンジェルによって彼女の説教者としての地位が確立されるなら、それこそヨハネの黙示録にある光のエンジェルが現れて語る偽の福音です。また彼女は魂は地上に残り、何代も今の世代の人間を苦しめるという神学も、聖書からかけ離れた異端的教義です。何代も霊が地上にとどまるという教え自体聖書にはない教えです。異端のデパートの様な偽牧師がメイヤー女史です。彼女の家には30以上の家具があり50万ドル以上費用がかかっているそうです。信徒の献金で買われています。プライベートジェットで飛び回っています。これも信徒の献金です。基本的に彼女の献金の使い方だけ見ても「やばい牧師」の筆頭でしょう。女史を牧師に選ぶ神はいません。日本の教会が戦後70年たっても衰退の一歩をたどるのも、女性牧師の容認が原因の一つです。日本には女性牧師が主任牧師で任命されているキリスト教会(日本キリスト教団、ホーリネス教団、兄弟団教会、メソジスト教会、アッセンブリーオフゴット教団、その他)があります。この傾向は日本の教会の異端化に拍車をかけています。女性の場合自分の権利を主張する傾向が強く、教会運営が牧師中心となり、個人の価値観で教会全体が動くシステムとなります。危ない異端の宗教の典型をキリスト教会もとっています。権力集中型の牧会が多く、したがって成長せずに教会が年を取っていきます。この教会超高齢化傾向も日本の福音教会の異端化を象徴してます。

では話をエバンジェリストに戻してアメリカのTVエハンジェリストでまともな教えを語る方がいるのでしょうか?私はまともな牧師をTBN(トリニティーネットワーク)で見たことがありません。日本ではまだ有名ではないこの3人も、いずれは何らかの形で、日本の信徒を騙すようになります。現実的にそれらが、日本人クリスチャンが多いロサンゼルスでは起こっていました。これらの牧師が町に来ると、ドジャーススタジアムに入場料を払ってジョールオースティン牧師を見に行っていました。福音伝道を入場料を払って見に行くことがすでに反聖書的です。キリストは入場料をとって大衆に話したことがあったでしょうか?しかし残念ながら私のような無名牧師の声はこれらの信徒に届きません。真理への道は狭き道で、大衆が好む道は滅びに続きます。

この冬日本で3回目のクリスマスとなります。日本にいると見えてくるものが日本の教会の知られざる異端化です。これを声に出すと既存の教会から攻撃を受けるので、解っていてもいい出せないのが残念な傾向ですが、どこの教団にも属さない私のようなものは、キリスト教会を客観的に見れる数すくない人間であると思います。ですからバイアスなしにこれからも日本のキリスト教会を見てゆきたいと思っています。いずれにしても裁くのは神です。私はあくまでも問題定義をし、結果は神に委ねます。これらの傾向を一日でも早く多くの牧師が理解されることを心から願っています。日本の牧師に必要なのは謙り、神の教えに聞きしたがうことです。たとえそれがいまの信徒から裁かれることであっても、それができる勇気を与えられるように祈ります。

楠ヒデキ ブログhttps://japanesechurch.blogspot.com

2017年クリスマス

楠 秀樹 川崎市中原区在住 

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