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ラプチャーって何?

2012年 8月5日 日曜日礼拝説教 内陸帝国キリスト教会 牧師 楠 秀樹 聖句 第一テサロニケ4章12-18節 タイトル 「ラプチャー キリストとともに戻るとは?」 先週の聖書研究で、ノンクリスチャンのかたが、キリストが戻ってくるときに、私たちはどうなるのですか?という質問をされました。確かにラプチャー(日本語では携挙)を理解しないと、この質問には答えられません。そこで聖書ではどのようにキリストの再臨を示しているのか聖書を元にお話します。 13節のすでに眠りについた人とは、聖書的な表現ですでに亡くなった人を現すときに使われます。ここで間違っていけないのは、死んだ人はすぐに天に引き上げられます。一部のキリスト教異端ではソウルスリープ、キリストの再臨まで魂が眠ると考えられていますが、聖書にはない概念です。このソウルスリープはすでに眠りについた人をそのまま直訳して間違いを起こしたので、原語のギリシャ語にある意味、眠りにつく=死んだ を理解しない間違いです。日本人は比較的わかりやすい表現で、永眠という形で 眠る=死 を文化的に理解できます。アメリカ人にはわかりにくい表現のようです。 人間の魂は死ぬと同時に天に行きます。これは十字架にキリストと一緒についた強盗の一人がキリストを神と信じたときに、キリストは今日あなたは私とともにパラダイスに行く と話されたことでも証明できます。私が地上に帰ってくるまで寝てなさいとはいいませんでした。  14節 キリストとともに戻る 誰がキリストとともに戻ってくるのでしょう? これはそれまで天国に行った人、つまり亡くなったクリスチャンが、キリストとともに戻ってくることを示しています。これはキリストが戻ってくる前にすでに天にクリスチャンが揚げられていることを示唆します。これを英語ではラプチャー、日本語では携挙と表現します。  インランドエンパイヤ教会はバプテスト教会ですので、艱難前携挙説を信じています。艱難とはキリストが地上に戻ってくる前に、反キリストが地上を支配する7年間を指します。その支配前にクリスチャンは天に揚げられる(携挙)と信じるのが、艱難前携挙説です。 ここでノンクリスチャンの方の質問の答えが出てきます。 クリスチャンは反キリストの支配が始まる前にラプチャーされますが、キリ...

ビジョンに従ったペテロ

 (2007年前後の事)日曜日秋葉原で25歳の青年が無差別にナイフであばれ、7人が死亡し10人がけがをするという事件が起こりました。日本は安全だという神話は完全に崩れ去って、アメリカにいる方が安全に感じます。犯人の加藤容疑者は犯行を携帯のブログに予告し、自分の持つ劣等感から、無差別殺人の犯行予告をしていました。 特に親に持つ反感が強く、ワイドショーニュース独占という、自己顕示欲を示す内容を携帯サイトに書き込みしていたようです。  可哀想なのは罪のない両親です。事件後記者会見をしている途中に、母親は力無く倒れかけました。どうして25歳になる成人の事件で親が謝らなければならないのか?日本の社会は成人の息子の責任を親にさせるという矛盾を感じます。未成年者であれば親の責任でしょうが、親から独立した息子の責任を親が取る必要はないでしょう。矛盾と怒りを覚える記者会見でした。アメリカでは考えられない記者会見です。聖書でもこのような場面があるのを思い出しましたが、イエスが安息日に盲人を癒したのを不服として、パリサイ人らが親に彼はどうして癒されたかを聞きました。親は「あの子はもう大人ですから、あの子に聞いて下さい」という会話があります。こちらの答えは大変理にかなった返答です。 本日の聖句は使徒行伝10章1節―15節 説教タイトル 「ビジョンに従ったペテロ」 ここでは2つの超自然現象が書かれてあります。 I.               最初はローマの百人隊長 コルネリオがカイザリアにいたときのことです。彼は幻の中で、ヨッパにいるペテロに会いに行くように、天使から示されます。  どうしてこの異邦人が神から個人的な啓示を受けたのでしょうか?検証します。 答えを先に書けば「神を恐れかしこむ人」であったからです。異邦人でありながら、神を信じユダヤ人に施しをしていました。神はユダヤ人を神の選民として選びましたが、異邦人であっても心から神を求める者には自らを現してくださるというひな形です。神は自らを示す方です。神は常に神を求める者に現れてくださいます。求...

復活のキリスト

全ては神の言葉で始まった。創世記1章1節「まず初めに神が天と地を創造された。」 そしてこの創造が ex nihilo (無からの創造)であることを以前説教で話しました。無から有を創造できる神が三位一体の神であり、私たち人間はこの宇宙創造と同じ動詞(バラー)で創造されていることを話しました。 また創世記第1章3節 神の造った最初の物質が光であることも学びました。神が最初に創った光りの創造に音がないという楠論は、一般的に信じられて いる創造のビックバン論に疑問を投げかけます。これはキリストのサンダルのサイズと同じです。神のサンダルサイズを知っていたからと言っても信仰の足しに はなりません。光の創造時に音があったかなかったかは、キリストのサンダルサイズと同じようにトリビアな質問です。肝心なのは神の創造で光りが造られたの がはじまりであると言うことでした。 そしてこの創造主が、ヨハネ1章14節で人となって現れたことを話しました。これがイエスキリストであり、神が人間界に人間として遜り生まれたことを話しました。神の人間としての誕生は罪で滅び行くであろう、私たちを救う最終手段であったのです。 どうして神が人間とならなければ、人間が救えないのか? 一般的に日本人は「罪の贖い」という概念がありません。従って十字架が罪の贖いのためと言っても意味が解りません。自分が罪人という認識がないからです。 生まれながらに罪はないという性善説を信じているからです。罪は生まれた後から付いて来るという考えです。ですから神社に行ってお祓いをすることが、清め の儀式となります。本質的に人間はよいものであるので、生活でついた汚れを「お祓い」すればいいと考えます。 キリスト教の大前提が、生まれながらにして罪人ですから、日本教の神道とは人間論が全く逆です。こんなたとえはどうでしょうか。十代の時恋人になる まえの友人に「好きだ」と告白するのは難しいですね。なぜなら相手が私はあなたのことを「友達としか考えられない」という答えが返ってきそうだからです。 神が人間となったのは、神からの言いなれば「告白」です。 「私はあなたを愛している。故に人となり十字架に掛かり、あなたの罪を贖った。」と言っているのがキリストです。しかし日本人の99.8%は「お友達でいましょう」と言っている...
2007年 10月14日 日曜日礼拝メッセージ 楠 秀樹牧師 説教タイトル 「不都合な福音とは」  アルゴア氏がノーベル賞を受けたニュースが入ってきました。彼がプロデュースした映画「不都合な真理」で一躍脚光を浴びるようになり彼の示した温暖化の進む地球の現状は私たちにとって、不都合な真理であったのは間違いではありません。現実ではあるが受け入れることに抵抗があります。  キリストが人類に示した真理も多くの人には不都合な真理(福音)です。 ヨハネ14章6節 「わたしが道であり真理であり命である。誰も私を通してでなければ父のみ元(天国)に行くことはない」 最近未信者のかたから質問を受けました。「(救われるのに)どうしてキリスト教でなければいけないのか?」 この方はキリスト教は他宗教を否定するので、排他的なキリスト教は信じられないと言われました。その方にたいして私の答えは「それは残念です」でした。 その方に何を説明しても、排他的なキリスト教の牧師が他宗教を認めずに攻撃しているとしか映りません。心の中では「あなたに信じてもらわんでも結構」と少し憤慨ていました。都合のいいことは信じても自分の理解を超えたことを言うキリスト教は信じないのか?と心の中では逆ギレしていました。きみは全ての知識を持っている人か?一般的に無神論者の間違いは、全ての知識を持ってそれでも「神はいない」と考えるなら許されます。しかし人間である限り全ての知識を持つことができるわけがありません。牧師としては愛が足りなかったですが、態度には出ていたかもしれません。すぐに顔に出るタイプですから。 また他の未信者方で今度は積極的に求道されているかたからはこのように言われました。「神の国って一人一人の心の中にあるものでしょう」この方はニューエイジの影響を受けておられるのでそういっていますが、私の答えは「そうですか、そのように考える方もおられますね」と相手を気遣っての答えでした。この方も自分に「不都合な福音」を受け入れる準備はない方でした。あなたは不都合な福音を受け入れるキャパがありますか? いろいろな人が自分勝手に、キリスト教とはこうあるべきだと考えておられます。 上の例ではクリスチャンであれば、未信者の方の「ああ勘違い」ですが、同じクリスチャンでも「ああ勘違い...