神があなたを造った目的は何か?パート2
先週からどうして神はあなたをあなたとして造られたのかを見ています。今週はそのパート2です。先週の説教を要約すると、神は私たちを選んで特別にお造りになった。神は私たち一人ひとりを目的をもって創造されたと聖句を通して示されました。隣の人を見てください。この人にも神の目的があるって信じられますか?この人にあるなら私にあって当然と思うでしょか?それともどうして神は私を造ったのかで不安な状態なのでしょか?安心してください。神の計画で造られた私たちは、アダムとイブが造られたときと同じパワーで造られています。誰一人として手抜きの方はいません。でもあの人は違うのではと指をささないで下さい。みな神のイメージで創造されています。
さて神によって選ばれているのがクリスチャンです。そして一人一人の目的が達成しない限り私たちは死ぬことがありません。逆に亡くなったのであれば、その方の使命は全うされたと理解できます。それが2か月の赤ん坊でも98歳の老人でもです。神の計画通りに人間は造られ2,神の計画にしたがって死にます。このコンセプトはアダムとイブが造られてから変わっていません。神にとって突然死はなく、また神が驚くこともありません。すべてのコントロールは神の御手の内にあります。前回は疑うことをやめることと、夢をもって生きる必要を聖書を通してみました。たぶん覚えておられないと思いますので復習しましょう。
神が私たちへ備えてくださるものは、私たちの想像を絶するもので、第一コリント二章九節 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことがないもの、そして、人の心に思い浮かんだことがないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは。みなそうである」神の計画は一人一人にあり、それは私たちが考えるようにも大きな御業を示す可能性がであります。
しかしここで人間的なちゃちゃが入ります。つまり疑いが心に入ってきます。
「おまえなんかが神に用いられるわけないだろう」という声です。神の働きで一番の障害が疑う思いです。目が神に向かずに。自分の才能や能力に行くと自然とそう考えます。旧約聖書で有名なヨシュアさんも実は同じ思いで指導者となりました。モーゼの後を継ぐという大役を受けた時に、まさか私にそんなことができるかと疑ったのです。旧約聖書の5書を書き、430年間奴隷であったユダヤ民族をエジプトから救い出し、紅海を二手に分けて渡った。イスラエル史上最強の指導者の後を受け継ぐことが、どれだけのことかをヨシュアは知っていました。
そこで神は彼に特別啓示をして勇気づけました。ヨシュア書1章9節「私はあなたに命じたではないか、強くあれ雄々しくあれ、恐れてはならない。あなたの神、主が、あなたのいくところどこにでも、あなたとともにいる」ヨシュアはこの約束を受けて、目の前にあるヨルダン川を、モーゼが紅海を分けたように、せき止めて乾いた土地を渡り、イスラエルの民にモーゼの後継人を自他ともに認めさせました。
チョイスはいつも私たちにあります
神の言葉を信じ栄光を見るか、疑う人生を送るか。私たちに人間的なポテンシャルがあるから神があなたを選ぶのではありません。従順に生きる信仰があるかを神は見ています。
そして自分たちの失敗を責めずに、私たちの将来の姿を見てくださる神に信仰を持つことを学びました。女性の場合は過去の失敗につまずく傾向があり、逆に男性の場合は何も思い出さないので、男女の違いが夫婦間にも現れて、二人の間にギャップが生まれることを示しました。男性は都合の悪いことを忘れるのが得意ですが、(男性代表は私です)女性は都合の悪いことだけ思い出します。(妻はこのタイプです)男女の違いがここに出てきます。神への信頼も同じように、男性のほうが楽観的で神の計画に従いやすいのでしょう。聖書で用いられた偉人のほとんどが犯罪者または人格的に残念な人が多いのを知っていますか。前回はどのような人でも神に用いられるということで、終わりましたが、今回はたとえ残念な人でも神に信頼することで、神様の約束を成就することができるということを見てゆきます。それって自分のことかって思う人もいるでしょうか。
さてヨシュア書では「神の約束」が13回出てきます。約束の主要点は、ヨシュアの渡るカナンの土地が、アブラハムの時代から所有権が与えられている「約束の地」だということです。この所有権は現在のイスラエルが主張する、カナンの土地は神からの約束の地になります。パレスチナの先住民との対立は1300BC年から始まっていました。
さてヨシュア書では「神の約束」が13回出てきます。約束の主要点は、ヨシュアの渡るカナンの土地が、アブラハムの時代から所有権が与えられている「約束の地」だということです。この所有権は現在のイスラエルが主張する、カナンの土地は神からの約束の地になります。パレスチナの先住民との対立は1300BC年から始まっていました。
ヨシュア書1章3節「あなた方が足の裏で踏むところはことごとく、私がモーゼに約束したとおり、あなた方に与える」ここでの与えるの動詞は原語では完了形ですでに与えているという事実を指します。すでにこの土地はヨシュアのものだと宣言しています。
ヨシュア書のテーマは「神の約束の成就」です。神はどこでもヨシュアが行くところには所有権を与えると約束しました。神の約束は破られることはありません。4000BC年のアブラハムへの約束の成就がヨシュアによってなされるのです。神の約束は必ず成就することを示したのがヨシュア書です。つまりまだ成就されていない神の約束も必ず成就されます・キリストの再臨と神の国の約束はかならず成就します。そのことをヨシュア自身も彼のなくなる前に23章14節で語っています。「見よ、今日、私は世のすべての人のいく道を行こうとしている。あなた方は、心を尽くし。精神を尽くして知らなければならない。あなた方の神、主が、あなた方について約束したすべての良いことが一つもたがわなかったことを、それは、ひとつもたがわす、みなあなた方のために実現した。」ヨシュアはまだすべての土地を手に入れてはいませんでしたが、神の約束のもとに与えられると信仰をもっていっています。神の約束は成就することを彼は身をもって知りました。
神は聖書の中で約7000もの約束をしています。これは小切手に数字が書かれていないblank checkと同じです。いくらでも好きな数字を入れることで、その表示の現金が手にはいるのと同じです。神の約束はこの小切手と同じです。それが信じられるか信じられないかです。神の約束のもとに私たちは神の恵みを受けることができます。
エペソ書3章20節 「どうか。私たちの内に働く力によって、私たちの願うところ。思うところのすべてを超えて豊かに施すことのできる方に」
神の言葉の約束をベルトに絞めて、もし私たちが衰え、力尽きてしまうときにも、神の約束を思い出せるようにしたいものです。神はヨシュアに約束したように、私たちにも信仰生活に力を与えてくださいます。豊かに施すとは物質的なものではなく、神のご臨在を約束してくださっています。神の臨在があればすべてあなたの思いは満たされます。豊かに施されるからです。
ヨシュアから学ぶ4つの約束4.
1.ヨシュア書1章5節 「あなたの一生の間、あなたの前に誰一人て立ちはだかるものはいない。私がモーゼといたように、あなたとともにいよう。私はあなたを見放さず、あなたを見捨てない」
神の約束は必ず成就します。そして神は私たちに同じ約束をしています。主により頼むものは決して見捨てられません。神ご自身が私たちを導き、私たちと共に戦い、私たちに勝利を約束してくださっています。どこへ行こうとも神となら勝利あります。しかしできない理由が一つあります。神を助けようとする思いです。神は全てを委ねるものに神の力が働くと約束されています、私たちは一人ではありません。しかし一人で戦おうとするので負けてしまいます。あなたと共にいようという約束は裏を返せば、一人でやろうとするなと言っています。ところが私たちは自分の力を過信するので、何でも一人でやろうとします。だから疲れまた失敗します。神と共に歩み進むのが信仰生活です。神の前に出ることをやめ、謙り神の後をついてゆくことが勝利の方程式です。
2.ヨシュア1章7節「ただ強くあれ、雄々しくあれ、私が彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならない」
2.ヨシュア1章7節「ただ強くあれ、雄々しくあれ、私が彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならない」
あなたの人生で成功者になりたければ、ただ一つしなければならないことが、神の言葉に従うことです。あなたのプランと神のプランが同じものであることが条件です。もしまだあなたが成功していなければ、神の計画に進路を変える必要があります。成功は神の意志の中にあります。成功という道は神の意志を行うという近道を通ることです。
私たちが強いのではありません。神が強いので私たちは強くなります。信仰が自分の能力や経済力にあるならば、私たちは疲れてしまい、神の計画を遂行することができないでしょう。強くあれといったのは、キリストにあって強くあれということを示唆しています。日本人信徒は多くの場合疲れています。自分で信仰を奮い立たせてクリスチャン生活をしています。キリストと共に戦うことを学んでください。キリストが私たちの代わりに先に立って、行くべき道を備えてくださいます。それをヨシュアはしただけです。
3.ヨシュア1章9節 私はいつもあなた方とともにいる
神の後をついてゆくことを始めましょう。神の約束は一時的なものでなく永遠です。神のあなたへの約束も永遠に変わりません。いつもあなたとともにいてくださるのが神です。神の言葉にタイムリミットはありません。正味期限切れの神の約束はありません。神の約束いつも有効で新鮮です。神が建て上げるのが教会です。どのような教会も神の約束の内に立ち上がっています。神の計画の内にあるなら成就するのです。
キリストを信じる信仰を持つ者は、神の約束のうちに守られています。いつもあなたと共にいるというヨシュアへの約束は、新約聖書の信徒にも有効です。ともにいるという言葉はもっと深く掘り下げて、私たちからキリストの臨在は離れないというものです。ともにいるのがキリストであることが解れば、自分で何かをすることをせずに、神に委ねて神の道を歩むことをします。信仰はキリストの後をついてゆくことです。疲れているのは神の前に出ている自分がいるからです。神の背中を見て信仰生活はなされるべきです。
4.最後に神の約束で一番大切なのは ヨシュア書1章8節 「この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされている すべてのことを守り行うためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである」
ここでは4つの動詞が使われています。
口から離さず
口ずさむ
すべてを守る
そうすれば栄えることができる。
神の約束を口から離さず、神の書を口ずさむ≪学ぶ≫ すべてを守る(従順に従う)これらの命令を守ることで神の約束(栄える)を自分のものにすることができます。成功するクリスチャンは従順に神に従います。
ヨシュアを後押しする聖句 箴言3章5-6節「心を尽くして主により頼め、自分の悟りにたよるな。あなたのいくところどこでも。主を認めよ。そうすれば主があなたの道をまっすぐにされる」
ヨシュアを後押しする聖句 箴言3章5-6節「心を尽くして主により頼め、自分の悟りにたよるな。あなたのいくところどこでも。主を認めよ。そうすれば主があなたの道をまっすぐにされる」
頑張らなくていいです。主が道をまっすぐにしてくれるんです。ただただ主に信頼すればいいのです。あなたの目的は主により頼む信仰を持つことです。あなたの人生で成功とは神の意志を成し遂げることです。ヨシュアとはギリシャ語でイエスです。イエスの後をついてゆくものが成功者です。May 2017 Hideki Kusunoki
コメント
コメントを投稿