コロナパンデミックスが変えたもの
最近のニュースでよく聞く言葉、Pandemic 世界的に広がるCovid19、アメリカではニューヨーク,カリフォニア州がLockDown,イタリアでは病院が足りず死者が氾濫 医療崩壊となっています。
このような不安定な世界でクリスチャンは神を説明できるでしょうか?
人類はこのような状況はすでに何回かは経験しています。エボラ熱、O157、インフルエンザそしてSARSと細菌との戦いに勝ってきています。今回のCovid19 も最終的にはウイルスに勝利できるでしょう。
このような世界的な危機に面したとき、人類はそれまで持っていた考えを改めさせられます。今回も私たちクリスチャンへ神は語りかけています。
根本的な価値観への語りかけが、私たちのこの世界は誰のものか?
どうしてウイルスがあるのか? もし神がいるならどうしてウイルスのあるような世界を神は許しているのか?その目的とは何か?クリスチャンとしてこの答えを探ってゆきたいと思います。
第一に私たちの住む地球は誰に所有権があるかです。
人間の住むこの地球の所有権は人間にあると私たちは勝手に思っています。しかしどこにいようと何をしようと、この地球の所有権は人間にはありません。それは人間がこの宇宙と地球そしてその中のものをすべてのものを作ってはいないからです。宇宙の所有権はデザイナーである創造主にあります。すべてをデザインし、造った方を私たちクリスチャンは神と呼びます。人間はただ神の造った宇宙の中の地球に、住んでいるだけです。しかも無料で、地球のオーナーに借地権がありながら、私たちは家賃を払ってはいません。それどころかこの土地は自分たちのものと言って所有権を固持し、造られた方を認めていません。土の一握りも作っていないのに、自分の土地と言って住んでいるのが人間です。
人間が認めなければならないのは、創造主である神の所有権です。すべて目に見えるもの見えないものは神の手によって無からつくられました。したがってこの世のすべての所有権は神に帰属します。しかしそこに住む人間は神を認めないで、神の所有権を否定します。神はいないといい、創造主を否定することで、自分たちの所有権を行使します。大家さんのいないアパートの家賃は払えないという論理です。しかし大家さんはその家を建てた方で、その大家さんの存在を無視して家賃の支払いを拒否しているのが人間です。何とも身勝手な生き物でしょうか?
この勝手にただで住んでいる家(地球)で病人が起こりました。コロナウイルスがパンデミックとなり薬が手に入らない状況です。
するとどうでしょう。今まで神なぞいないと言っていた人間は、どうしてこんなウイルスを私の家にばらまくのか?と今まで存在さえ認めていなかった大家さんである神に文句を言うのです。まったくもって身勝手な人間のまことに矛盾した文句の言い方です。
では私たちコロナウイルスで苦しむのはどうしてか?
これが大家さんを認めない方々への何らかのサインであれば、クリスチャンはCovid19にはかからないはずですが、クリスチャンもかかっていますので、神を認めない方への罰ではないことは証明されています。神がもし存在しその神はコロナウイルスも造ったのだから、神が私たちを苦しみから解放し癒すべきだとノンクリスチャンは主張します。神を信じない人間がウイルスは神のせいにします。彼らの主張はコロナウイルスだけではありません。もし神がいるなら苦しみがどうしてこの世に存在するのか?不治の病があり、戦争があり、経済的な貧困があり、飢饉、大地震、津波があるこの世界を何で作ったのだと怒り心頭です。
ではコロナパンデミックの世界的状況に神が介入しない理由は何でしょうか?
神は永遠に価値のある事柄に介入し、一時的な問題には介入しないからです。
人類が創造されて約6000年の歴史から見れば、コロナパンデミックも一時的な問題です。これも通り過ぎる問題で永遠に残る問題ではありません。(著者は若い地球論者)
モラルのある神は今日の人間の問題に一時的に介入するかしないかを決めることができます。創造主の特権で介入するかしないかを決められます。いつ介入するかは神の御心ひとつです。人間にはわかりません。また知らせる義務もありません。ここで聖句を見てみましょう。
伝道者の書3章1節 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
11節:神のなさることは全て時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠への思いを与えられた。
神は永遠のことに関して変わらない価値観を持っておられる。
17節:すべての営みとすべての業には、時があるからだ。
17節:すべての営みとすべての業には、時があるからだ。
神から見た時の価値観と私たち人間から見た時の価値観にズレがあります。神が直接介入しないのは理由があります。コロナパンデミックに限らずに、神は多くの歴史的な出来事に介入していません。第2次世界戦争中ナチスドイツによる600万人のユダヤ人迫害と殺害、ポルポトによるカンボジアの300万人の自国民殺害、アメリカ軍による広島長崎への核無差別攻撃、自然災害だけではなく、戦争や人災も神は介入する権利を持ちながら介入されていません。どうしてでしょうか?
神が人間に与えた自由意思を神は極限まで守られました。またイエスキリストの十字架での死を神は回避することはできたはずです。しかしあえて一人子を贖いの生贄として十字架にかけています・この計画は人間を創造する前にすでにあった贖いの計画です。
神は私たちを愛するゆえに御子イエスを地上に送りました。イエスご自身も神ですから、歴史に介入することはできましたが、父の計画に従い介入せずに父の御心のままにと言って十字架にかかりました。
キリストは神への究極の従順を示し、私たちの罪の贖いを完成しました。キリストの生まれてきた目的がそこにあったからです。これは永遠の命のための生贄です。神の介入する問題は永遠性のある問題です。
神を恐れる思い14節 私は知った。神のなさることはみな永遠に変わらないことを。それに何かをつけ加えることも、それから何かを取り去ることもできない。神がこのことをされたのだ。人は神を恐れなければならない。
クリスチャンが示さなければいけないことは、愛の神は同時に恐れをもって崇める方であることです。ノンクリスチャンにはこれまで愛の神しか伝えていませんでした。福音が一方通行でした。しかし神は恐れを持って崇める神であることを知らせる必要があります。それは人間が罪びとだからです。
クリスチャンが示さなければいけないことは、愛の神は同時に恐れをもって崇める方であることです。ノンクリスチャンにはこれまで愛の神しか伝えていませんでした。福音が一方通行でした。しかし神は恐れを持って崇める神であることを知らせる必要があります。それは人間が罪びとだからです。
コロナパンデミックで私たちクリスチャンが習ばなくてはならないことは、神への甘えをクリスチャンから取り除くことです。そして揺るぎない神への信頼とこれまでの信仰を見直す機会とすることです。クリスチャンが神を創造主として理解できていません。家賃を払っていないのはノンクリスチャンだけではありませんでした。No more free bees
たとえばコロナパンデミックで変わったことは、教会の礼拝が普通に集会でできたことができなくなっている事実です。今までの教会のあり方自体が変わってくるでしょう。人々が集まって礼拝を持つ形、2000年間守られてきたことが過去のシステムとなるのでしょうか。これからの礼拝の主流はネット礼拝となり、みんなで集まる礼拝は淘汰されていくのか?これまで普通にされていた集会は新しい普通(ノーマル)ネット礼拝になるのでしょか?今の普通が普通でなくなるのがコロナウイルス後の世界です。
安心してくださいコロナパンデミックスの後にはこれまでの礼拝は復活します。しかしこれまで以上にネット配信という礼拝の形が新しい普通(英語ではNEW NORM)の礼拝の形になってゆくような気がします。
全てこの世で起きることは神の御手の中にあることをクリスチャンはこのパンデミックで確認する必要があります。そして堅く信仰に立つことを神は求めておられます。今私たちが見つめなければならないのはコロナウイルスではなく神の一人子イエスキリストです。
お祈りします。 元牧師いま社長 楠秀樹
絶対的な神は全てをコントロールする方、それを信じ待つのがクリスチャンです。この妥協のない信仰を示す時が 今でしょう。
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