クリスチャン教会の低迷原因
1945年8月15日 中国大連市で帝国陸軍の通信兵をしていた父の元に一通のテレグラムが届いた。中国で最初にそのニュースを受け取った彼はそのニュースの信憑性を疑った。そこに書かれていたのは「日本国は無条件降伏を条件に戦争の終結する。直ちに武装解除して、帰国の準備をされたし」父は部下たちにこのニュースを伝えるべきかどうかを迷ったという。それは自分で日本国の敗戦を消化できていなかったからだろう。しかし彼の心配をよそに、無条件降伏のニュースは中国のメディアを通して中国中に流された。心配する混乱もなく父はそのニュースを楠隊部下たちに伝えた。そのころ特殊爆弾が広島と長崎に落とされたというニュースも同時に流された。昭和天皇の言葉通り忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐え、戦争を終わらせる決断をした。
この話を聞いたのは私が若干8歳の時、当時の私は父の心の動きを知るよしもなかった。
この後にポツダム宣言をサンフランシスコで調印、日本は正式に戦争の責任を全面的にまた一方的に無条件で受け入れることになった。アメリカは敗戦後、廃墟と化した日本に多くの物資と人道的支援を始めた。特筆することはマッカーサー元帥は、日本人の精神的な柱であった天皇裕仁信仰が崩壊した後の霊的バキュームを心配し、できるだけ多くのキリスト教宣教師の派遣をアメリカのキリスト教諸教会に嘆願した。アメリカ政府の方針として、キリスト教による霊的復興をはかったのだ。しかしこれが後に大きな霊的足かせとなっていった。戦勝国の宣教師として入ってきた彼らは物質的に日本国の復興をサポートしたが、霊的必要性を満たすことができなかった。どうして宣教師らはキリスト教によるリバイバルを日本で起こすことができなかったのだろうか?
たぶん私は「Pride」がそこにあったのではないかと思う。
戦勝国のキリスト教が敗戦国の神道日本を救うという「Pride」があった。キリストの福音による救いではなく、アメリカの物質主義を運んできたのが宣教師だった。したがって物質的にすべてが欠乏していた1950年代は宣教師のいうことに耳を傾けていた日本人も、1960年に入り経済的に安定してくると、宣教師に耳を傾ける必要性がなくなっていったのである。キリスト教でなくても日本は復旧できる。しかもそれがもっと如実に社会的現象として現れたのが、1964年の東京オリンピックと1970年代万国博覧会後、キリスト教がなくても日本は復旧できるとなっていった。1972年沖縄返還で日本は完全にアメリカから独立し、これと同時にキリスト教の衰退が加速していった。
そして創価学会の台頭がここから始まった。
日本人としての自覚と自信を取り戻したときに、外国の宗教であるキリスト教が淘汰された。キリスト教を外国の宗教として持ってきた宣教師の戦略的失敗がここにあった。その結果戦後67年経った2012年(このエッセイの執筆時)、日本国内でのキリスト教人口は25万人を下回り、人口比率では0.2%となっている。宣教師だけの問題ではないが、キリスト教が外国の宗教の概念である限り、福音を日本人に受け入れてはもらえない。
0.2%の原因 その2
どうして日本がキリスト教を受け入れることができなかったか?
前回その1ではアメリカの宣教師らの戦略的失敗、ニホンイズムの否定が原因と仮定した。これらはいずれも仮説Hyperthesisでこうだと断言しているのではない。今回は日本の牧師にもその原因があることを書こう。
キリスト教で一番神の嫌われる罪(偶像礼拝)を日本の牧師が行っていたからだ。
しかしこのことは、日本の教会で世話になっている牧師には言えない。
日本の教会で育っていない私だから言えることだろう。
第二次大戦中にキリスト教は妥協してしまった。帝国日本の宗教改革を受け入れ、天皇を教会で礼拝した。この時点で日本のキリスト教は霊的に死んだ。神のもっとも嫌うことを教会の牧師が率先してやってしまったのだ。しかしもっと大きな問題は、このことを戦後誰も問題視しなかった。あたかも何もなかったかのようにアメリカ人中心の伝道が戦後すぐ始まった。アメリカ人宣教師も戦時中の出来事をあえて問うことはしなかった。
これは丁度モーゼが十戒の石をもらってくる前に、40日も帰ってこないモーゼを諦め、アロンらが偶像の金のウシを礼拝したのと同じようだ。この後に偶像礼拝した全ての20代以上のユダヤ人は約束の地イスラエルに入ることができずに荒野で死んでいった。だから荒野に40年間住むことになった。あたらしい世代(偶像を拝まなかった世代)だけが約束の地に入ったのだ。
日本の偶像礼拝も神の怒りを引き起こした。と楠は考えた。
戦後日本の教会が戦前よりものびないのは、偶像礼拝した牧師が悔い改めずに牧師業に戻ったからだ。人はだませても神はだませなかった。0.2%には原因がある、妥協した日本のキリスト教リーダーに神は日本の救霊は任されなかった。
リバイバルが日本で起こらないのは起こらないのではなく、霊的束縛を牧師らが導いたからだ。リバイバルは悔い改めから始まるので、悔い改めない年代の牧師が生きている限り、日本にリバイバルは起きないだろう。
新しい世代の牧師が出てきて、その前に何が起きたかを告白することが0.2%を治す唯一の方法であると楠は考える。
以上のことはアメリカにいる牧師だから言えること。日本の教会に世話なっている牧師らは自分の先輩牧師の罪を内部告発することはできない。
いまでも戦時後の牧師が現役で教会にいる。日本の救霊ためにするのは、罪を犯した牧師の撤退と悔い改めであろう。もちろん心から遜りそれができればだが、それをしていればすでに会心率0.2%からの脱却は既に始まっていたであろう推測する。
0.2% その3
前回のあらすじ
戦時中に行った偶像礼拝の罪を、戦後悔い改めることをしなかったので日本に福音が伝わらなかったという仮説を立てたが、日本基督教団は戦後22年たって、戦時中の天皇礼拝を認めその罪を悔い改めた。しかしそこに書かれた名前は教団理事の名前だけで、実際に教会で天皇のご真影にひざまずいた牧師の名前は入っていなかった。またまた過ちを犯したのがキリスト教団の戦後処理の仕方だ。
罪を犯すのは罪人の性、罪を犯したときに心から悔い改めるのが真のクリスチャン。キリスト教団の告白文は、実際に偶像礼拝をした牧師らの悔い改めになっていなかった。したがってパリサイ人的な表面だけの悔い改めとなり実際霊的効果はなかった。
心の変化が悔い改めであるのに対し、過去を直視しないリーダーシップはやがて、自分たちの過ちを時間が解決すると考えた。しかしこの時間による解決方法が、福音伝道のブレーキとなり、霊的束縛を生む引き金となった。戦後日本人のキリスト教への関心は0.2%が示す通り無に等しい。
日本基督教団が必要なセラピー
精神的に傷を負った年齢に戻って治療するのがリグレッションセラピー。これが日本の教会でも必要になるだろう。罪を犯した年代まで戻り悔い改める。これ以外の方法で0.2%は変わることがないと楠は考える。
日本の教会が癒されなければ前に進むことはできない。
悔い改めると願う気持ちが出てくれば快方に向かうのが、かたくなに過去の罪を否定する限り癒されることはない。それが今日の牧師の使命であると楠は考える。これが個人的なことではなく、日本人全体への悔い改めになれば、日本が癒されるのではないだろうか。
日本基督教団に必要なのはリバイバルではなく、癒されるための悔い改めであると分析する
会心率0.2% その4 団体主義のツケ
アメリカの保守派福音主義の傾向をそのまま受け継いだ日本のキリスト教会。しかし現状は少しニホンイズムを取り入れていた。
個性を伸ばす教育がアメリカ、全体主義を崩す個性を潰すのが日本。これはキリスト教にもあてはまってしまった。キリスト教は個人的に神を信じるという「関係」の修復であるのに対し、日本的キリスト教は教会への忠義が信仰告白となってしまった。日本のプロテスタント教会はカトリック教会と同じ過ちをしてしまった。キリスト教という団体への参加がクリスチャンであるという「ああ勘違い」をしている。しかし日本人は日本的な団体主義が伝道の足かせとなっているのが見えていない。個性がのびないから、その教会の色に染まらなくては信仰も伸びない。
キリスト教派でもその団体の色に染まらないと伝道できないのと同じだろう。ある牧師は所属団体から大きなダメージを受けてもその団体に残って伝道されている。アイデンティティーの問題であると感じる。つまり教団名のない教会を恐れるので、教団指導者との対立後もそこに残るようになっている。リタイメントと経済的な理由もあるようだが、可哀想な日本の牧師の運命であると感じた。キリスト教はあくまでも個人主義であるはず、しかし団体主義の日本式キリスト教が日本人がクリスチャンにならない原因ではないか?
アメリカで分析を続ける牧師がここにいる。
会心率0.2% その5
旧約聖書からの応用すると、神の恵みと裁きは旧約聖書に出てくるコンセプト。 イスラエルが2つの王国に別れた時に、ユダの国ヘゼキア王はイスラエルから偶像を撤去し、モーゼが作った青銅の蛇を打ち壊した。アッシリアの重なる攻撃にも耐えた。
エルサレムが陥落寸前になった時に、ヤオウェイの神に嘆願した。そこでイスラエルの神はエルサレムを囲む18万5千人の兵士に死の天使を送り打ち殺した。(第二列王記19章35節)
偶像礼拝をする国の兵士が殺されたのは、イスラエルの神に敵対する国への裁きを示している。偶像礼拝をする国の民がさばかれるひな形となる。
偶像礼拝する国は裁かれるのであれば、日本国が裁かれるのは至極当たり前なこと。ただイスラエルに敵対し攻撃を加えていないので、まだ神の怒りを直接かうことはないとしても、0.2%の福音普及率は、これまで私が仮説として取り上げた原因の究極的な答えではないか?人間の失策で0.2%になっているのではなく、偶像礼拝をしたクリスチャンの必然的な罪の結果として0.2%の改心率となっているという仮説だ。
アメリカ人宣教師の失敗、日本人牧師の悔い改めのない戦後の伝道、聖書の教えに反抗する日本式の教会と、人間に原因を探ってこれまでいたが、結果的に神が全治全能で0.2%は裁きの結果として受け入れる他はない。日本は裁かれた民であり、聖書的に神に敵対する民として避けられない数字が0.2%であったと仮定する。
つまり日本に福音を伝えることができるようになるには、偶像礼拝を廃絶すること、しかし日本から天皇礼拝、先祖礼拝、汎神論を元に行う自然界礼拝をなくすことは現実的なオプションではない。日本国は裁かれる民となるのはアッシリヤ、バビロンが滅びたのを連想させる。裁かれる民となった日本を救う手だては人間の業に見ることは残念ながらない。日本国民は裁かれた民、現実を受け入れるキャパが日本人クリスチャンに必要と結論する。
日本人は神の裁きを受け入れることができるか?日本人として生まれてきたときに、この神の裁きの中にいることを知らない。リバイバル運動というかけ声を聞き続けてわたしの場合は40年、どうして日本にリバイバルが起こらないのか?分析している人がいない。これも日本のキリスト教会の大きな問題点で、問題を問題としてみることができていない。残念な傾向なのが、福音派教会のカルト化である。日本の中にいると解らないが、外から(外国)からみると日本の福音派キリスト教会の霊的問題が見える。これを日本国内ですると教会批判として潰されるので、日本で牧師をしている方は教会を正しく分析ができない?一部のアメリカの日本人教会もカルト化しつつあるのが気になる。特に女性の牧師を採用するところ、または女性がリーダーシップを取るところが、カルト化を勧めているように見える。(日本ホーリネス教団が例)男性牧師不足から、女性のリーダーシップ(牧師として按手 聖書にはない女性の按手)をしたのが原因であると楠は思う。カルト化の裏には多くの女性リーダーシップが存在するのは、アメリカのカルトを分析するとよくわかる。クリスチャンサイエンス、セブンスデーアドベンチスト、フォースクエアー教団等は女性のリーダーシップから始まっている。神がかった女性が神から新しい啓示を受けたと勘違いして始めるケースが共通している。神は女性をリーダー牧師として召命しない、これは聖書の中で示された真理。女性牧師は勘違いをされている。男性牧師の代わりには女性はならない。代わりとしての召命も神はしない。(神でない方がしている)
いずれにしても福音派教会のカルト化原因の一つが女性牧師の存在であろう。ウイリアムウッド博士はカルトを専門に伝道する福音派の宣教師であるが、彼が日本の教会のカルト化を警告したところ、逆に日本の教会から信徒を惑わすものとしてレッテルを貼られてしまった。残念な傾向なのは今や日本の教会に自浄洗浄能力は残っていない。私のこのエッセイはアメリカ発なのでまだ攻撃はないが、危ない牧師としてのレッテル覚悟で書いている。得にならないことをすると家内に怒られてまでもしている。明治時代に内村鑑三が無教会運動を始めたことを思い出す。当時から日本の教会ははずれていたのかもしれない。0.2%の日本の伝道率は、異端傾向にあるキリスト教を増やさないための神の計画ではないかとも思う。どうしてキリスト教徒が増えないのか?現在の教会そのものに問題があり、神の手で一般の日本人をカルト化しているキリスト教会から守っていると考える。
いずれにしても福音派教会のカルト化原因の一つが女性牧師の存在であろう。ウイリアムウッド博士はカルトを専門に伝道する福音派の宣教師であるが、彼が日本の教会のカルト化を警告したところ、逆に日本の教会から信徒を惑わすものとしてレッテルを貼られてしまった。残念な傾向なのは今や日本の教会に自浄洗浄能力は残っていない。私のこのエッセイはアメリカ発なのでまだ攻撃はないが、危ない牧師としてのレッテル覚悟で書いている。得にならないことをすると家内に怒られてまでもしている。明治時代に内村鑑三が無教会運動を始めたことを思い出す。当時から日本の教会ははずれていたのかもしれない。0.2%の日本の伝道率は、異端傾向にあるキリスト教を増やさないための神の計画ではないかとも思う。どうしてキリスト教徒が増えないのか?現在の教会そのものに問題があり、神の手で一般の日本人をカルト化しているキリスト教会から守っていると考える。
これはあくまでも推測であるが、健全な教会ならば成長するというのがキリストの教え、成長しない原因は、自分たちの中に原因があると気が付いてほしい。そして悔い改めてほしいと願っている。
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返信削除厳しい意見を書いていますが、日本人が選ばれていない民と考えるのは、当事者としてはたいへん寂しい結論です。しかしイスラム教国より福音伝導率が低い日本人の改心率を見るにつけ、霊的な束縛があるように感じます。もはや人の手では動かすことのできない自体であるでしょう。裁かれた国民への伝道を任されているのはたいへんだと思いました。
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