知的デザインによる万物の創造 (Ontological Argument)

  楠 秀樹 著

イントロダクション

偶然で目的のない行き当たりばったりの物質的な過程でできたのが、この宇宙の創造であるとするのが進化論です。日本人は文部科学省のカリキュラムにより進化論以外は学んでいません。命の創造は目的のない偶然でいきあたりばったりのものであると仮定します。それは目的を与える対象の神を認めることができないからです。つまり目的を持ってこの世に命を与えられることにより、進化論との矛盾が生じてしまうのです。目的を持つとは目的を与える創造者(神=キリスト)がいること示唆します。進化論では偶然でできた命に目的が与えられることはなく、一個人の人生のすべては偶然の積み重ねであると解釈します。日本人は偶然にできた宇宙に偶然にできた地球へ、 偶然にできた生命体で、偶然に21世紀の日本へ両親を通してランダム(偶然)に選ばれ生まれ、偶然にここで私の説教を聞いている。すべては偶然のチェインリアクションが進化論の根底にある哲学です。

 

ところがクリスチャンは創造論を基本に人生を見ます。命を含めすべては神によって目的もって造られたと定義します。従って私たち一人一人は現在神の計画に基づいて創られた宇宙に、目的を持って創られた地球(日本、アメリカ)に、目的を持って日本人として生まれ、目的に向かって日々の生活をしていると理解します。 もちろんクリスチャンでも目的を見失っている方もおられますが、神と離れることで、自分の造られた目的を見失うことはあります。

 

 個々の人生を決める生き方は2つです。一つは進化論を信じる人生で、神の存在を否定し毎日を無目的に過ごす人生です。もう一つは創造論を信じる人生で神を認め、自分が罪人であることを自覚し、救世主の必要を認めキリストを信じる信仰を持ち、罪からの解放と復活による永遠の命の約束を信じる人生です。どちらの人生哲学が人間にとって必要なことなのかを今私たちは生きている間に問われています。

 

 すべて偶然でできたのが宇宙であれば、宇宙のデザインをする神の存在は必要なく、また罪を犯す対象の神はいないので、人間は何をしても罪には問われないと考えるのが進化論の概念です。自分の好き勝手に生きて、死ねばこの世から存在自体がなくなるという解釈です。

神の存在を否定する前提の元には進化論の概念があります。無神論が前提に進化論があるために起こる人生哲学が事なかれ主義です。これには大変大きな落とし穴があります。

 

ここで本日の聖句 新約聖書を見てみましょう。コロサイ1章16-17節

1:16 なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。1:17 御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。

 

1.         キリストは万物の造り主 

2.         すべてはキリストのために造られた

3.         キリストはすべての支え主

 

1.キリストは万物の造り主

 聖書では神(キリスト)がすべてを創造したと宣言しています。聖書は神がいるかいないかとう初歩的質問を投げかけることなく、神というデザイナーが創造主としてすべてをデザインしたと宣言しています。

創世記1章1節 はじめに神は天と地を創造された。

 グラスバレー市のカルバリーチャペルで、クリスチャン弁証学の一日セミナーがありました。そこで講師のJP MORELAND[1]博士は すべての目に見えるもの、見えないものがキリストによって創られ、150億年前にビックバンがあり時間と空間の始まりがあったと説明しました。(膨張する宇宙の速度を逆算すれば宇宙の始まりが計算できる)どうして神は宇宙の創造に150億年必要であったのかという質問を教会員がしたところ、神が時間を必要とするのではなく、創造の過程[2]として時間が150億年であると説明していました。神に必要なものはないSelf -Sufficientの神であると答えていました。すべての造り主と言うことは、すべての創造物に神の手がかかっていると考えます。宇宙とその中にあるすべては神のデザインであるわけです。

 アメリカのクリスチャンの間ではビックバン理論は一般的に受け入れられていません。それはこの宇宙が比較的に時間がたっていないと言う説を信じているからです。これを若い地球論といい、地球宇宙はすべて6600年前に6日間で作られたと考える創造論があるからです。ビックバン理論は人間が進化する時間が必要であると認めた妥協論からなると考えられていて、実際の地球や人間はもっと基本的に時間が掛かっていない、進化の過程を必要としないので、何億年もの時間が必要ないと考える理論です。つまり創世記にある一日を24時間と考え、アダムが作られたのは地球の造られた年と考えると、聖書を元に計算すると実際にアダムから現在の人類までは6600年しかかっていません。若い地球論は進化論を完全に否定した論理です。

2.      すべての創造物はキリストのために創られた。

 創造という言葉は ヘブル語でバラー[3] 閉ざされた宇宙の質量は変わることがありません。ですからはじめの創造の時に置いた宇宙の元となる物質がどこからきたかを進化論者は説明できません。誰か知能のあるものがデザインし創らなければ宇宙の元になるものはできあがりません。さてこの宇宙の元となる物質を神はバラーで創られたとクリスチャンは考えます。無から有を生むことは神以外にできないことです。このバラーの動詞を使って創ったものがもう一つあります。それが人間を創るときの創造で使われた動詞です。

創世記1章27節 神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された

 この時に使われた動詞もバラー無からの創造でした。宇宙と人間は同じ動詞を用いて創造され、この2つ以外に神を主語としてバラーは使われていません。人間の魂の重さが宇宙に等しいと言われる起源を聖書は明確に示しています。また神に似せて創るという、ほかの創造物にはないデザインを人間で行っています。神に似せた人間はすべてキリストのために創られたのです。クリスチャンが中絶を反対するのは、命のデザイナーが究極的に人間ではなく神にあり神のために創られた命であるからです。中絶を肯定する方は、自分の体内のものは自分に権利があると主張しますが、すべての命は神による創造で所有権は神にあるという理解が必要です。(妊娠によって母体に危険がある場合は除く)同じように、命を大切にするのは、創造主の意思を尊重することになります。TERRI SHAIAVOのケース(14年間脳死であった女性を餓死させたケース)もクリスチャンが反対したのは、実際は命を人間がコントロールすることを問題提議しています。誰の命かが問題の争点です。彼女の夫が生きる権利を持っているのでしょうか?聖書にすべてはキリストのために創造されたとあれば、最終的に生きる権利をきめられるのは人間ではなく、神が決めるべきことです。クリスチャンは命の尊さを聖書を用いて立証できます。どんなに小さな命も宇宙と同様に尊ぶ必要があると言えます。

 

3. キリストにより保たれている

 すべてがキリストにより創られたのであれば、それを維持されるのも神です。150憶年の宇宙の創造から神は私たちと共に働いておられる神です。(ビックバン論であれば)これは私たちの現在の生活にも当てはまります。神は常に私たちの生活に関与して下さいます。それは創造者としての責任が彼にあるからです。又人間がしなければならないのは、キリストを自分のデザイナーとして認めることです。進化論では偶然できた生命であれば、創造主(神)を認めることは不可能です。ですから命の所有権がその個人にあるとなり、中絶や安楽死が人間の権利と成立します。しかし命を創ったものが命を保つことができるという聖書の基本的教えに戻ることで、私たちの中にある所有権の問題が解決されます。すべては神からきて神に帰るのか、すべてはただ偶然で存在し、命がなくなったときに消滅するのか?あなたはどちらを信じているのでしょうか? セキュラーヒューマニズム[4]では人間が宇宙の中心となります。人間がすべてにおいて最終決定権があるとなります。人間が宇宙の中心なのか神がすべての核となるのか?が問われているのです。命の主権が誰にあるのかを、私たちは知る必要があります。命は命の作り主である神のものです。ですから命は神からきて神によって保たれ死後神に帰ります。

 

 私は今年2005年1月に母を亡くしました83才でした。膵臓ガンで闘病1年あまり、痛みもなく眠るような最後であったのですが、彼女をコントロールするのは誰であったのでしょうか?医師の施す処置で余命3ヶ月の診断が1年3ヶ月延びました。私たち家族は延命治療を施すことはしませんでした。神がすべてをコントロールするという考えは彼女の死を通しても認められました。幸いにも彼女はクリスチャンでしたので、栄光の神の元へと帰ってゆきました。これが何よりの慰めとなっています。また天での再会ができるという復活の希望があるからです。進化論では命が終わったところで消滅する命です。クリスチャンのような希望は死にありません。日本人の場合進化論を信じながら魂の永遠性を信じる方が多くリインカーネーションのように、またこの世に命を受けるという考えがあります。しかし進化論では魂の存在自体を否定していますので、進化論を信じながら魂の永遠性を主張するのは論理的矛盾があります。その矛盾に気がついていないのが日本人のクリスチャンにもおられます。

 

アプリケーション

 神によって創られた私たちの命(創造)が理解できると、私たちが次にしなければならないことがはっきり見えてきます。その創造主である神キリストの後をついてゆくことです。私たちの人生も神によって計画されていると解れば、自分で何かをしようともがくことをしなくなります。なぜならば人間は自分勝手にいろいろ計画を立てますが、それが成就されるか されないかを神はご存じであり、神の意志ですべてが決まります。御心を求めて行くことが私たちの人生の目的を知るのに一番正確で近道になります。

 

結論

クリスチャンとして生きることが神の栄光を現すことであり、死ぬことも益となります。パウロはピリピ1章21節 「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です。」 と語りました。クリスチャンとして生きるとはどの様なことでしょうか?命の所有権を神に認めることです。神により創られ保たれている命です。最近の日本で流行している社会問題の一つが、インターネットで知り合った若者が車の中で集団自殺することです。この原因が進化論です。命の所有権は自分にあるという考えが基本にあるからです。命の所有権が神にあると解れば勝手に自分で自殺はできません。宇宙のすべてを創った神は、命を無駄には扱いません。私たちは生まれてきた目的があります。その目的が創造主を知るときに解るのです。人生の生きる目的が与えられれば、自殺に走る若者らも生きることを選ぶでしょう。生きることはキリストです。創造主を認め、神の目的を知る。クリスチャンには一人一人に目的が与えられています。その目的を全うするまでは人間は死ぬことはありません。それが生後3ヶ月か83年かは神以外解りません。私たちはいつ死ぬかを知ることが大切ではなく、どうして生まれてきてどの様に生きるかを問われています。あなたはこれからも偶然の連続で起きる進化論を信じる人生を続けますか?それともキリストを神と認め人生の目的を知る機会を今持ちますか。 

 

神に栄光を帰すことが、クリスチャンの最終目標です。神に栄光を帰す信仰生活を送っているでしょうか。命の起源を知る事で、私たちは命の大切さと、命を用いて神に栄光を表す事が出来るように生きるでしょう。では特別に何か今までにないことをしなくては成らないのでしょうか?神に栄光を帰すと言う事で、特別にしなければならないことはありません。神を喜ばせることができるのは行いではなく信仰です。 私たちが日々の生活で、信仰を持って生きる事で、神に栄光が帰ります。何かするのではなく、すでに行われた事の中に神の働きを認める事です。命の一つ一つが神の創造であると信じる信仰で神に栄光が帰ります。キリストが十字架にかかったのは、尊い命である私たちを滅ぼさないように、十字架にかかってくださいました。それは御子イエスを神として救い主として信じるときに、永遠の命が与えられると言う聖書の約束が元になります。今日命が大切な人はキリストを信じ受け入れる事をお勧めします。それは命の元をキリストが造り保たれ、責任を取った神であるからです。キリストのうちには朽ちる事のない、永遠の命が宿りそれを信じる者の中にもそのキリストの命が宿ります。あなたも悔い改めて神の御子を信じるときが今です。お祈りいたします。

  

 著者紹介 楠 秀樹

ロサンゼルス日本人教会ぶどうの木国際教会英語部牧師を6年務めたのち、サバティカルをとり執筆活動を始める。誰も読まない説教集1&2を執筆し、CD「2000年前の約束」、「ゴランの風」を発表、現在英語の説教集を誰も読まない英語バージョン執筆中。妻千恵子と2匹の猫(モモ、うめ)とカリフォルニア州ユカイパ市に2006年7月より在住 インランドエンパイヤ日本人教会主任牧師 



[1] JPモーランド博士 USCで博士号取得、現在バイオラ大学タルボット大学院でクリスチャン弁証学科主任教授、代表的な著書Scaring the Secular city, Philosophic Foundation for a Christian Worldview など アメリカのクリスチャン弁証学では第一人者
[2] クリスチャンでもマイクロ進化は肯定する。長い年月における環境の変化で進化する生物の種類内で起こる進化(ほとんどの場合進化でなく退化)をさす。これに反してマクロ進化は種外進化を指し、たとえば魚が鳥になるという進化の過程は現在でも証明されていない。
[3] ヘブル語で創造をするときにエクスニヒロ(ex nihiro)無からの創造を神がなさった。
[4] 人間中心主義で進化論が基本的哲学、進化の最終過程が人間であれば人間が最も進化した動物の形であり物事のはかりとなる。人間は永遠に続く進化の過程でこれからも進化は続く、又その基本的概念には神の存在はない。物質と霊という二元論は信じていない。魂の存在を否定している。

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