恵のみの信仰 Sola Graca


恵みのみの信仰の勧め Sola Graca GRACE ALONE

最近は説教を聞きながら通勤をしています。コロナの影響で電車に乗らないで仕事場まで3.7キロを歩いています。この間にデボーションができるようになって、朝の通勤がたいへん楽しくなりました。そこで一番印象に残った説教は、今は亡きジョージホイットフィールドの言葉にもある「もし恵み以外に何かを求めているのであれば、それはもうすでにクリスチャン信仰ではない」 彼は恵み+アルファーの信仰を全否定したのです。恵みのみの信仰が本来のキリスト信仰と定義しました。しかしこれが今日の福音と隔たりのあるものとなっています。

わたし事ではありますが、18歳で免許を取って以来、憧れで乗ってみたい車がPorsche 911(997型) Carrera S  今のポルシェ992型ではなく2世代前のポルシェです。こう書くとポルシェのうんちくを知っている人のように聞こえますが、理由はいたって簡単で、2020年型ポルシェ911は経済的に買えませんが、14年前のポルシェであれば、なんとか手に届くではないかと思っています。しかしこの夢を打ち砕くような説教をこの朝通勤時に聞きました。牧師の名はTim Keller ニューヨーク市のPresbiterian 教会の牧師です。
彼の説教の中で、恵みについて深い洞察をしていました。私たちの信仰は恵みのみで恵まれているか?真のゴスペルは「キリストの十字架での罪の贖い、死後3日目の復活、昇天時の再臨の約束」キリストを信じる信仰により救われるのが、福音(ゴスペル)で、これ以上の福音もこれ以外の福音もありません。恵みはキリストを信じる信仰で十分なはずであるのですが、現代のクリスチャンの姿勢は、救われていることだけでは物足りずに、この世での物質的精神的社会的立場で優越感を持つことを信仰生活と勘違いしています。だからジョールオースチン牧師がもてはやされるようになっています。この世の繁栄の福音を語るアメリカで一番大きな教会の牧師で異端です。 

信仰は恵みのみで与えられるもの。誰も誇ることがないため。(エペソ書29節)しかし最近のクリスチャンは恵みプラスアルファーの信仰を求めています。信仰の実践として、教会の奉仕をされている。それ自体に問題はないのですが、プラスアルファー型でないと救われないという教会が出てきています。恵みだけで救われると口では言うのですが、実践が伴わなくてはいけないと教わるので、教会での奉仕に夢中になる方が現れます。ある女性信徒は教会での奉仕が信仰のバロメーターとなっていました。信仰を私たちの行いで測ることはできません。信仰があるので行いがあるので、(ヤコブ書2章14節) 行いによって信仰を測ることが聖書的ではありません。
今までの福音のあり方にチャレンジしたのがティム牧師でした。
信仰があれば、私たちにこの世的な恵みがある。
信仰があれば、教会の奉仕をすることで恵まれる
信仰があれば、健康な体となることで恵みを体験する。
信仰があれば、精神疾患が癒される。
信仰があれば、今より大きな家に住める。
この世のご利益を約束する福音がいまの流行りのご利益型福音です。例としてケネスコープランド師、ベニヒン師、ジョセフプリンス師、クリフトダラー師、メイヤー女史、あげればきりがないほど、TVでもてはやされている牧師は、ご利益型福音を語る偽教師です。神が私たちに約束した福音は、恵みのみの信仰です「私の恵みはあなた方に十分である」プラスαを否定したのが聖書の信仰の形とティム牧師は警告しています。

 ここで先ほどのポルシェのはなしですが、私の場合はあこがれとしてポルシェに乗ることを例としてあげましたが、この考え方の根底には、もしポルシェさえあれば、私は幸せなクリスチャンになる。ではありません。今の車(ミニクーパー)に十分満足しています。例え2020年型のポルシェが手に入っても、私が物質主義であれば、もっと上のものを欲するようになります。ランボルギーニやフェラーリといったスーパーカー、そしてそれらが手に入いれば、もっと上の車ベントレー 新型のGT、ロールスロイスファントムがほしくなるかもしれません。(私の好みではありませんが例えとして)
恵みプラスαの信仰は無限のループがありそれに気がついていないのがご利益型福音の信徒です。
 あなたは今の神の恵みで満足していますか?神の恵みは充分であるのでしょうか?
ちなみに、ポルシェの夢はあきらめられてはいません。それによって神との関係が影響されることはないからです。だから家内は私の浅い信仰にあきれているようです。私には時間がありません。60歳を過ぎて車の運転技術が怪しくなってきているからです。今がポルシェを扱う最後の時です。つまりあと2-3年で車の性能が私の運転技術を上回ってしまいます。かなわぬ夢と知りつつも、ポルシェが正常に運転できるのは、今しかないでしょう。天からマナが降ったように、クリスマスの朝起きるとガレージに大きなリボンをつけたPorsche 911 Carrera Sが駐車してあるといいですね。カードには おめでとう私の忠実な僕ヒデキへ あなたの主イエスキリストより と書かれているでしょうか。恵みだけで十分ではなかったのか?自分の説教が身に沁みます。

 2020年8月 元牧師今社長 楠 秀樹 
1985年オレゴン州の聖書大学のことです。その日のチャペルのspeakerは有名なPastor Roy Hicks, Jr(ユージン市で3000人のFour Square教会の牧師)でした。しかし彼が乗ってきた車はおんぼろのVW ビートルでした。その前は信者から献品された、Porsche 911に乗っていました。どうしてビートルになったのでしょう。アメリカ人にはない感覚ですが、牧師たるものPorscheなどに乗るべきではないと、長老から注意されたというのです。つまりほかの信徒が嫉妬したので、躓きの石にならないようにと車を中古のビートルにしたと言うのです。その時若干25歳の私は、牧師になればポルシェには乗れないと思った記憶があります。しかし本当にポルシェにのれない理由はあとから分かったことですが、日本人教会の牧師の給料では乗れない車ということでした。アメリカの大きな教会の牧師はベンツSクラスに乗っています。教会の大きさで牧師の経済力も変わってきます。クリスチャンの世界も経済力がモノを言うは現実で、貧しい牧師にはさびいい傾向です。天に宝を積むことを信じて頑張ります。



コメント

このブログの人気の投稿

3人の異端教師たち

異端の牧師たち

ビジョンに従ったペテロ