倫理法人会へのメッセージ


主題聖句 マルコ8章34節~36節

説教タイトル 「100% 降参する人生が勝ち組」

元インランドエンパイヤ教会主任牧師 楠 ひでき

 聖書を専門用語で「キャノン」正典と呼ぶのをご存じですか?そうです。日本ではカメラやコピー機の会社と同じ発音です。しかしこのキャノンの語源はヘブル語の「カーネ」から来ていて、葦のことです。この葦がとうして聖書を指す言葉となったのかは、葦の伸び方がまっすぐ伸び、ついにははかりざおの寸法を現すようになったのです。旧約聖書エゼキエル42:16-19節でキュービットという言葉がそれに当たります。ギリシャ語でもカノーンの意味も葦で物差しを指します。すべての物事を測る物差しとしての、聖書をキャノン 正典と呼ぶようになったのです。この正典がいくつあるかが、カトリックとプロテスタントまたユダヤ教で違ってきます。

ユダヤ教では旧約聖書のみ39書が正典

プロテスタントは旧約39書+新約27書=66書が正典

カトリックは旧約39書+新約27書+外典15書=81書

2つのはかりがあっては基準であるキャノンの意味をなしません。聖書信仰を重んじるバプテスト派、どれが本当のキャノン 正典か?キャノンだけに写真判定が必要でしょう。

ちなみに欽定書(英語ではKing James Version)と言われている聖書では1819年に外典の入ったものが、カトリック教会を中心に配布されていました。しかしプロテスタント中心のイギリス、アメリカでは1894年版で外典を外しました。現在も欽定書には外典は入っていません。

聖書主義を謳うインランドエンパイヤ日本人教会、聖書を学ぶことで真理をみることを伝える教会です。

 キャノンが正典になる一つの条件が、間違いのない神の言葉です。プロテスタントが外典を正典として認めないのは、外典に間違いがあるからです。ここが私たちの教会と外典を認める教会の違いです。キャノン正典は間違いがないが絶対条件です。一つの言葉ももれなく神の言葉が聖書です。なぜなら聖霊によって霊感を受け書いたものが聖書と信じるのが、私たちの教会だからです。神の言葉の聖書には間違いはないと信じます。聖書は神の言葉が含まれていると考えるか、神の言葉100%なのかで、正典の理解が違うのです。同じキリスト教でも40000以上ある教派が出てくるのは、そのほとんどが正典の取り扱い方で出てくる違いです。すべてのキャノンは「神の霊感を受けて書かれている間違いのない神の言葉」が私たちの教会が取る立場です。これをてthe Inerrancy of the Wordと英語では言います。

さて今日の聖句マルコ8章は、人間の本質を突いています。

人間は罪があるので、神を100%知ることができません。罪人のまま神を知ろうとするので、神が見えないまたは解らないのです。人間が神を解るようになるのは神のほうからイニシアティブをとっていただいた時です。つまり聖霊の神から理解力が与えられると神が理解できます。

 キリストがこの世に来たときに、彼は自分が神だという証明をしようとはしませんでした。彼がしたのは人間の本質的な素質が神を知るのに足りないものがあるというメッセージでした。神を理解しようとする前にしなければならないことがあります。それをしないと神を知ることができません。一般的に罪人とは隣の住人のことをつべこべ言う近所の世話をやくおばさんのようです。ほんとは自分が一番お節介やきだという事実を解っていません。日本人は、自分はよい人で間違っていないという概念がありますから、神の言葉が心に入ってきません。神を理解する大前提は人間は生まれながらに罪人(法律上の罪人ではありません)という前提の上に、キリストは福音を語っています。自分に罪があると認めなければ、聖書の言葉は心に響きません。聖書は人間が霊的に罪人であるという前提で書かれている本だからです。

 日本人がクリスチャンになりにくい(人口比0.2%)原因の一つが、罪人の自覚がないことです。日本人特有の概念 人間は生まれながらにして良いひと 性善主義があなたをキリストから離しています。つまりこの「自分はよい人」という前提があるので、神の言葉は心に(魂に)届きません。

 神を信じる大前提は、罪人の自分を自覚し、罪を告白することが必要です。この罪の告白はクリスチャンになるときに一度だけすることではありません。クリスチャンになったので告白するのが罪です。一部のクリスチャンは罪の告白がないと救われないと考えていますが、人間の行い(告白や懺悔)では救われないのが聖書の教えです。私たちが救われるためにすること(人間の業)は何もありません。キリストを信じる信仰によりクリスチャンとなり救われます。罪から救われたので罪の告白をするのです。

 クリスチャンは信仰でキリストを神と信じた時にクリスチャンとなります。たとえ罪を告白し懺悔しても、善いと思われる行いをボランティアでしても、キリストを信じなければ救われません。逆にキリストを信じる信仰だけで救われます。たとえば十字架で一緒に死んだ泥棒の一人は、キリストを信じる信仰で救われました。十字架から降りてきて洗礼を受けていませんが、イエスは「今日あなたは私とともにパラダイスにいる」と言われました。罪の告白や洗礼という「業」で救われない証明となっています。

 キリストを未信者が神として理解できないのは、人生の中心が「自分」であるからです。人間は自分のことをまず第一に考えるのでキリストが神であることが理解できません。クリスチャンでもキリストが見えない方がでてきます。それは自己中心的な生活をしているからです。

 あなたはいま完全に神に自分の人生を委ねているか?を問われるのが今日の聖句です。3つの動詞が重要です。

1.自分を捨て 2.十字架を背負い 3.ついて行く 

 ノンクリスチャンの人は安心してくださいこれはクリスチャンへの命令です。逆にあなたがクリスチャンであれば、今あなたの人生の何%をキリストに委ねて生きていますか。30%ですか50%ですか99%ですか?

 クリスチャンの最低条件は100%委ねているが正解です。人生のすべてを委ねて生きるのがクリスチャンです。そしてそれができないと信仰生活が苦しくなります。自分で自分の人生をコントロールしようとする悪い(罪)癖が直っていないからです。(ローマ書7章18参照)

 自分でコントロールしようとする人生から、神にコントロールしてもらう人生にするには、自分では人生がコントロールできないと、人生のかじを神に委ねることを最初すればいいのです。人生のコントロールを神に委ねるとき、クリスチャンとしての人生が大変楽になります。何で降参できないか? 

降参できない3つの要素は以下です。

1)高慢 2)プライド 自分で人生はコントロールできるという 3)思いこみです。

 あなたにも降参できない三つの要素 高慢、プライド、思いこみ、がありませんか?ないと言えばそれもまたプライドになってしまうでしょう。

 一般的に未信者であれば必然的に持ってる3つの要素があるので、人生のコントロールができません。例えれば私の兄は倫理法人会に参加しています。彼の人生の一部が操縦不能となっているからでしょう。典型的な日本人の代表です。彼の場合自分ではコントロールのできない人生を直そうとしています。キリスト教では人生の方向転換は自分ではできないと宣言します。できないことをしようとするから疲れます。どれだけ自分を鍛えて、精進しても、コントロール不能なのが人生です。もしコントロールのできる人生を送っておられるなら倫理法人会に来る理由がありません。また倫理法人会に来ない方の理由は大きく二通りです。すでに倫理法人会の教えを習得し実行できているから来る必要のない方か、できないということを体感し来るのを諦めている方です。どちらでもない方が倫理法人会に毎週参加される方です。もしそうであれば中途半端な人生を歩んでおられる方がここに集まっています。例えば、会社の方針で来られている方や、営業の一環で来なければいけない方、利害関係が絡んでいるが口には出せない方々です。客観的に見ても大変お気の毒です。 このようなしがらみだらけの人生からの救済方法は一つだけです。キリストに自分の人生を委ねることです。人生降参(give upではありませんSurrenderと言います)した方がキリスト教では勝ち組です。今のあなたの人生?本当にやり直すには一つだけ、キリストにゆだねる人生を送ることです。 

 ちなみにサタン(悪魔)となったルシファー(天界での名)が、天国から地上に落とされた原因は、高慢となり、プライドがあり、思いこみがあったからです。この悪の三原種 高慢、プライド、思い込み あなたの人生にもありませんか?

 神のようになると言う高慢、(日本の宗教は人間を神格化する)自分の力を信じるプライド、自分はできるという思いこみ、私たちの罪の特性も悪魔と同じです。自分勝手で、自分を信じ込み、できるという思いこみで神に目がいかないのです。ですから個人的にプライドが高く、自分に自信のある人に限ってクリスチャンにはなれません。思いこみが激しいタイプです。罪の自覚があれば、神がその人に働いている証拠ですが、罪人の自覚がない限り神を知ることができません。クリスチャンになるのは人生を明け渡した時、人生のコントロールを100%神に委ねた時です。人がキリストを選んだのではなく、神であるキリストが人を選んで神の家族として下さいます。

36節 たとえ全世界を得ても、いのちを損じたら、何の特になりましょう。

これはサタンを例えています。地上の全権を支配をしても永遠の命を失ったサタンは哀れです。

 あなたは自分の3つの悪の要素を神に任せることができれでしょうか。任せることができれば人間として新生出来ます。あなたも新生(ボーンアゲイン)体験してみませんか?それには自分の三つの罪(高慢、プライド、思いこみ)を認めることから始めます。人間の知能や能力で解るような神であれば大した神ではありません。神を理解できるようになるのも、神(聖霊)の力が必要なのが人間です。人間の知性で理解できる神であれば、キリスト教の神も他の宗教の神でも違いはありません。その辺に転がっている地蔵のようなものです。手で造られたモノに何も力はありません。人間の手で造ったものに力があると信じることは愚かなことです。すべて日本にある偶像は人によりつくられた物です。ゆえに何の効力も力も霊的ご利益もありません。偶像への信仰が愚かな行為と解るのが聖霊の働きです。それは真理(キリスト)を知った時に起こる霊的変化です。

 19世紀の初め、科学が人間にすべての答えを与えると信じた人類は、20世紀の初頭までには神を信じるというばかげたことをする人間はいなくなると、ある科学者が宣言しました。それは聖書が信じるに値しない書物であるからだと言ったのです。しかしこの21世紀に入っても、世界でベストセラーとなり読まれている本が聖書です。もし科学が答えであれば聖書は博物館に飾ってあり、「昔人類はこの本を読んで神を信じていたのよ」と嘲られていたでしょう。

 最後にこの世には2つだけ滅びないものがあります。神の言葉(キャノン)と神の愛です。あなたがいま生きていられるのも、神の愛によって支えられているからです。神の言葉を信じる信仰が今あなたに与えられますように、そして今日から明け渡し人生が始まりますように、イエスキリストのみ名によって祈ります。







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