奇跡の猫GRACE
奇跡の猫Grace
先週いつものように歩いて帰宅している途中に、弱ってうろうろしている猫に出会いました。先に声をかけていた女性がいましたが、反応がないので困っているところを通りかかりました。
見て見ぬ振りもできず、どうしたのか伺うと、一週間前から駐車場にいる猫だが日に日に弱っているのを見かねて、餌をやろうとするが彼女を無視するというのです。そこで彼女に私は嶺町猫の会員で、野良猫を保護することをしていますと説明し、変なおじさんではないことを彼女に告げました。
この猫は鼻からは鼻水を出し病気であることが一目で明らかでした。そこで私が病院に連れていくことを申しでると、後ろでその話を聞いていた近所の方が、猫用のキャリアーをもって、これを使ってくださいと言ってきました。なんと素早い対応でしょう。そしてその猫を捕まえようとすると、もう一人の通りがかりの方が、今度は慣れた手つきで猫を取り上げキャリアーに入れてくださったのです。 そしてこの方は財布を出し、少ないですがこれでと言って、財布の小銭をすべて下さいました。これしか手持ちがないのですみませんと、まったく見ず知らずの方が野良猫のために、まったく見ず知らずの猫の会と名のるものに、お金をさし出している状況となりました。もし私がただの変なおじさんであったらどうするのでしょう。と思いながらこの国は捨てたもんではないと感じていました。
午後7時に近いので車で病院に連れていくことになりました。猫の会が提携するのは大田区池上線の千鳥町にあるウルトラ動物病院で、滑り込んでみていただけることになりました。猫の状態は脱水症状があり、目が見えていないというのです。腎臓が悪く高血圧になっているようだという診断でしたが、詳しくは血液検査をしないとわからないといわれました。年齢は歯を見て10-12歳前後だというのです。しかし問題はこの猫の病状がわかっても、目の見えない病気持ちの猫をどうするかでした。そこで猫の会の有志がボランティアでポスターを作り里子を探してくれました。しかしこのような老猫を引き取る方が現れるとは思えませんでしたので、私は神にゆだねる祈りをしました。あなたが作られたこの猫の最後を看取ってくれる方が現れるようにと祈りました。ただ本当にそんな方がいるのかは半信半疑でした。祈るには祈ったが、現実はたいへん厳しいと思う牧師です。
果たしてペット(動物)は天国に行くのか?今日はそれを検証してゆきたいと思います。
結論から言えば聖書にペットが天国に行くという個所はありません。また天国にはいかないという箇所もありません。つまり私たちのかかわる動物がどうなるのかは、だれにもどうなるのかわからないが答えです。動物(ペット)が天国に行くか行かないか?人間は知る必要がないと神は言っているのでしょう。現在日本にいるペットの数約犬と猫は、犬が1034万6000頭で猫が995万9000頭という調査結果が発表されています。 ちなみに日本の総人口は1億2691万人です。 ひとりで複数頭を飼われる人もいますので、正確な計算にはなりませんが、約16%の人が犬か猫を飼っていることになります。
私はまたペットがどうなるかよりももっと深刻な問題、ペットになれない不幸な野良猫野良犬はどうなるかが気になりました。つまりペットショップに売っている65万円の猫が田園調布でかわれて最後を見届けられ、立派なペット墓地に埋葬されるのと、誰も知らないところで空腹で病気になり死んでいった野良猫の違いが気になります。ペットとなれなかった野良たち、神はどのように扱われるのでしょうか?
ではペットに限らず聖書的見方をしてゆきます。ここで気になる聖句が浮かんできました。ルカ書16章19節からの金持ちとラザノの話です。聖書の中で犬は汚れた動物として扱われていて、ペットにはなっていませんでした。この話の中でもラザロをなめる貧疎な犬という描写です。ここで扱うのは犬の話ではなく、ラザロは生前貧しく路上生活を強いらげられていた人でした。しかし金持ちは毎日のように宴会をし贅沢三昧をしていました。私にはこの例話が人間ではなく、野良猫にも通じるものがあると感じるのです。つまり田園調布のペットの猫が金持ちで、ラザロが今回嶺町で出会った野良猫です。この二匹が天国に行った時に、ラザロと金持ちのように逆転現象が起きるのでしょうか?
聖書では罪あるものは天国に行けないとあります。そのためにキリストは十字架にかかりました。アダムとイブが犯した罪は動物に関係しています。創世記2章17節 この神との契約を破ったので人間は死ぬことになりました。しかし動物は神との契約はできないしまたしていません。死が入った原因はアダムの神への意図的な反逆です。これが罪です。しかし動物は自分の意志で神との契約を破ることができません。従って罪は動物には存在しません。罪とは神への意図的な反逆willful disobedienceですから、動物のもつinstinct本能では罪にならないのです。罪の影響で死ぬのが動物ですが、罪に定められることがない生き物です。
このように罪の影響で死が入ったのは動物も人間も同じです。人間だけではなく動物も人間の犯した罪が原因で死ぬように定められました。つまりアダムの犯した罪により動物も死にますが、その罪の贖いの十字架での救いは、神を信じるか信じないかの意志のある人間だけに有効で、意図的に罪を犯せない動物は自動的に天に行く事が出来ます。動物が天国に行く資格があるのは、罪を犯すことができずに、また聖書では罪の概念は人間だけを対象に語られています。罪がなければ天国に行くという聖書的な概念から、動物が死んだら天国に行くか行かないか(復活して)わかりませんが、少なくとも天国に行く資格は持っています。
そして私たちが可愛がった動物を復活させることができるのも神です。復活をするかしないかも聖書にないのでわかりませんが、神には不可能はありません。私がいままで飼っていた3匹の犬との再会があるかどうかは天国で分かるでしょう。そして最後にアメリカで飼ったビリーはこの世ではDVの犠牲犬で目が見えなくなり、耳も聞こえなくなっていました。天国で出会うビリーは私のことをちゃんと見つめて、私の声に応答できる犬として復活していると信じたいです。なぜなら迫害され見捨てられているものは、天で報いを受けるのは人間も動物も同じです。神の業【愛】は常に誰に対しても平等であるからです。
ちなみに今回レスキューされた野良猫には名前を付けました。GRACE(めぐみ)そしてうれしいことにGRACEに引き取り手が見つかったのです。奇跡は彼女が入院して5日後にありました。本当に奇跡が起こったのです。引き取りたいという里子申し込みがありました。それも里子ネット配信をして次の日です。私は自分の信仰のなさを反省し、神に感謝しました。そして日本には病気の猫を引き取る覚悟のある方がおられることを知り、捨てる神あらば拾う神あり、(捨てたのは人間、拾ったのも人間ですが)キリスト教の牧師が使うことわざではないでしょうが、本当に神様の御業を見せていただきました。常識ではありえない奇跡が起こるということを、またこの猫がどこから来たのかはわかりませんが、恵まれない動物が死んだときにどこに行くのかを考える機会となりました。
最後に昨今ペットロスという言葉があります。子供と同じように飼っていたペットが亡くなり途方に暮れている方々のことです。しかしその方々に希望を与えられるのが、聖書でありキリストの愛であると思います。彼らの心の傷を癒すことができるのも神で、天国での再会を知らせることができれば、それこそかれらにとっては再会の希望が「福音」ではないでしょうか。福音を型にはめることなく傷ついた人々の希望となり、心の支えてとなるようにすることも神の働きではないでしょうか?ちなみにCSルイスもペットは天国にいると信じる一人です。わたしだけではありません。心強い仲間となっています。
お祈りしましょう。
お祈りしましょう。
コメント
コメントを投稿