神との仲直り

本日の説教テーマソング 

誰でもキリストの内にあるなら
       その人は新しく造られた者
      ふるきは過ぎ去り すべてがあたらしい
       主の内にあるなら すべてが新しい

 紀元54年パウロがテモテとともに伝道旅行をしているときにコリントに教会を立ち上げました。そのコリントの信者に向けて書いた手紙は4つあるといわれていますが、聖書として残っているのは、第一の手紙とこの第二の手紙の二通です。
 この第二コリントへの手紙の中心聖句が本日の11節から19節にあります。「神によって新しくされる」のが私たちクリスチャンです。どのようにして新しくなるのでしょか? 新しいという原語には、まったく何もないところから新しく創造されるという意味のギリシャ語が使われています。つまり無からの創造エックスニヒロ(ex nihilo)の創造で新しくされるのが人間です。この新しく造られた人間は福音を受け入れたクリスチャンを象徴します。本日の聖句を見てゆきましょう。

説教題 和解の神キリスト 
説教者 楠 秀樹
聖句 第二コリント5章11章から19

5:11こういうわけで、私たちは、主を恐れることを知っているので、人々を説得しようとするのです。私たちのことは、神の御前に明らかです。しかし、あなたがたの良心にも明らかになることが、私の望みです。 5:12私たちはまたも自分自身をあなたがたに推薦しようとするのではありません。ただ、私たちのことを誇る機会をあなたがたに与えて、心においてではなく、うわべのことで誇る人たちに答えることができるようにさせたいのです。 5:13もし私たちが気が狂っているとすれば、それはただ神のためであり、もし正気であるとすれば、それはただあなたがたのためです。 5:14というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。 5:15また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。 5:16ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。 5:17だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 5:18これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。 5:19すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。

 こうゆうわけで、で始まるときにはその前の節を修飾しています。ここでは10節 「なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです」を示しています。

 クリスチャンは神との和解があるので天に行きます。ですからこのさばきは天でのクリスチャンへのさばきです。またさばき主はイエスキリストご自身です。旧約聖書の影響から裁くのは天の父なる神という間違った概念が一部のクリスチャンにありますが、新約聖書でしめされた真理は、私たちを天国で裁くのはキリストです。ではいったい何を裁かれるのでしょうか? 善であれ悪であれ裁かれますとあります。天国にいるあなたは生前の行いをすべて裁かれます。しかしこの裁きは、私たちの考える裁きとは少し違って、報いを受けるか受けないかの裁きとなります。基本的にクリスチャンは天に行きますので、クリスチャンであれば神との永遠のセパレーションはありません。安心してください。クリスチャンは神に愛されています。この愛に条件はありません。

 こうゆうわけだから裁き主の神を恐れるのです。さばき主であるキリストを知る健全な恐れ、righteous fear(正義の恐れ) です。神はいつも私たちとともにいます。そして常に私たちを恵みの中で守ってくださっています。神の愛を知り許され、神の恵みにより育まれます。アーメンですね。

例話
 2月上旬から2年ぶりにブラジル行きました。そこで27年前から友人でストリートチルドレンの伝道をするPauloと再会しました。彼の人生はものすごいところを通らされていました。彼はストリートに住む子供をキリストに導くことで、貧民街のギャングに命を狙われました。(ギャングらは子どもに売春や窃盗をさせて稼がせていた)彼らのおどしは本物で、殺すといわれ家族で逃亡生活をしていましたが、捕まりリンチされ半殺しになり川に捨てられました。まるで使徒パウロの現代版の様です。この事件後仕事からのストレスが原因で精神病となり、ストリートチルドレンの伝道会から解雇されてしまいます。自分の始めたチルドレン伝道会を解雇されてしまったのです。彼は当時躁うつ病となりまた初期のschizophrenia(総合失調症)となっていました。自分のやっていることがわからず、家族にも危害が及ぶ危険さえありました。
 この状況が5年続いたのです。しかし約2年半前教会の前にいるとある黒人の方が近寄り、あなたのために祈りたいと申してきたのです。その人は神がパウロのところに行って祈るように示されたというのです。初めはうさん臭く断っていましたが、あまりにもその方がしつこく言うので、仕方がなく祈らせることにしました。祈った後に何の変化もなく、お礼を言ってその場を去りました。教会によくいるおせっかいおじさんだったのでしょか。しかし家に帰っていつもの薬を飲もうとしたのですが、何かが違うことに気が付いたのです。頭の上にあったもやもやがなくなっていたというのです・かれはその時に、自分は神に癒されたと思ったそうです。しかしこの手の病気は自分が癒されたという思い込みはよくあることで、それで薬を飲まなくなりもっと以前より悪くなることがあります。
 この不思議な出来事があったのが2年半前で、それ以来パウロは以前のように復活しました。しかし精神科の医者は「3年たっても変わらなければ、完治宣言をするがまずそのような事例は私の経験上今までにない」と言われたそうです。つまり一度総合失調症になれば、後には薬なしでは戻れないと専門家は言うのです。鬱から初期の総合失調症になる前に神の手が働きました。彼はあと半年薬なしでいられれば、完治したことを医者に証明できるといいました。私は神の働きを信じます。あと半年彼が薬なしでいられるように祈っています。
 パウロは恐れることなく、子供たちの伝道を再開しています。彼の人生は神が今も生きている証となっていると思いました。 17節だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。パウロの人生ではこの聖句が証明されています。

 皆さんの人生でも同じことが起こるでしょうか?個人個人で神様の働きは違いますが、私たちクリスチャンがしなければならないことは、神に自分をゆだねることです。今の人生をキリストにゆだねることで起こる奇跡があります。キリストの内にあるなら、が条件です。誰でもキリストの内にあるならという条件が整えられれば、新しく造られます。そして今までの人生に秩序が与えられます。キリストなしの人生はカオス(秩序ない人生)、しかしキリストの内に自分を置くことで、人生に秩序が与えられます。
今までにない秩序であなたの人生で何が一番大切かを示されます。
第一に神キリスト
第二に自分です。
 今までの秩序はこの順番が反対でした。いつも自己中心で自分のことしか考えていません。またそこに秩序はありません。またふるきが過ぎ去るとあります。新しくなる前になされることが、古い自分との決別です。キリストの内にあるならこれができます。しかし残念ながらふるきが過ぎ去っていないクリスチャンがいます。この教会にはいないでしょうが、キリストの内という条件を満たしていなければ、古きは過ぎ去らないからです。ですから常に古き自分との葛藤があります。キリストの内にあるとはキリストに過去の自分をゆだねることを示します。英語ではIn Christ 信仰とは目に見えないことを信じると先月話しました。神の許しがなければ、あなたの人生に何も起きないとも話しました。だからキリストに自分をゆだねることで、過去の自分からの解放があります。そして未来は見えていませんが、神がすべてを良しとしてくれる「まだ起こっていない事実を確信する」信仰が与えられます。へブル書11章1節

 キリストの内にあることで、秩序が回復し、未来に起こることを神にゆだねることができます。これが信仰に生きることです。信仰に生きるクリスチャンとは、人生を神にゆだねて生きる人のことです。

 最後にもう一つそれはキリストの内にあることで起こることがあります。神との和解です。仲直りするのは神が先です。その次に人との仲直りです。
 和解とは一方的に神が私たちがまだ罪びとであった時に示された行為です。和解とはキリストの十字架の贖いによって完了されたものです。神の子イエスがこの地上に来た目的は神と人の和解のためです。この和解ができて人間は人を許すことができます。なぜなら人を許すことを神が最初になされ、和解の神キリストを信じ受け入れたものが、和解を人と人の間で実行することができるからです。秩序の神がキリストです。新しくされるとは、秩序が自分の中で入れ替わります。またふるきが過ぎ去るとあります。これがゴスペル福音です。福音の後に人との和解があります。秩序は神との和解の後、福音を受け入れた後についてきます。新しく造られる自分はすべて神の恵みにより新しくされるので、人間の出る幕はなく、神のほうからイニシアティブをとってくれました。また和解が持たれるめぐみがキリストの内にあります。和解の神と呼ばれるのはキリスト以外ありません。なぜならば十字架にかかること、そして新しくなることを復活でしめしてくださったのがキリストだからです・父なる神との仲を取り持つキリストだけが本当の和解を私たちに語れるお方だからです。

お祈りしましょう。

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